Case Study #4

アーキテクツ・ホスピタリティ/4

─ 建築家の名作ホテルと旅館に学ぶ

ホテルを躍動させる、村野藤吾のディテール

竣工 1978

数々のホテルや旅館を設計してきた建築家・村野藤吾。「建築は社会のもの」という考えを実践し、建築家がもつ、あふれる感性や技術を、ホテルのためにいかんなく発揮している。
建築のためのスタイルというより、むしろホテルのためのスタイルが、村野建築の特徴だろう。

作品 「ザ・プリンス 箱根芦ノ湖」
設計 村野藤吾

取材・文/本橋 仁 
写真/山内紀人

  • 本館2階のロビー。
    天井や壁柱のアクリル製ショーケースなどのディテールが見どころ。

 身だしなみは足元から。よく、ファッションの言葉として聞くものだ。目に見えないところにも注意しなければ、折角のおしゃれも台なしだぞ、という意味で用いられる言葉である。建築家・村野藤吾は、その繊細なディテールで知られる建築家であるが、その繊細さを支えたのは、そうした見えないような細部までの徹底したこだわりである。
 ザ・プリンス箱根芦ノ湖(竣工時の名称は、箱根プリンスホテル)は、その自然の美しさとあいまって、竣工からおよそ40年近くにわたり、多くの宿泊者を魅了してきた。この建物の魅力を、足元を手がかりにみていこう。

凝縮された足元空間

 ホテルを訪れるゲストは、まず深く低い軒のエントランスに出迎えられる。そこにきらびやかな装飾はない。このホテルは、大きく3つの建物からなる。エントランスとラウンジ、またバーをもつ玄関としての建物、さらに中庭をもつ円形のふたつの客室棟である。そして、そのあいだをつなぐのがロビーである。
 エントランスから客室へと案内されるゲストは、まずロビーを通ることとなる。そして、先ほどのエントランスで感じた印象は、この空間でガラリと変わる。おおきな曲面を描いて上に巻き上がる木の天井は、支える柱とも縁が切られているためか、まるで天蓋のように重さを感じさせない。ソファやテーブルも、この空間には道を譲り、柱と柱の影にひっそりと身を潜めている。客室棟に向かう階段も、普通であれば高揚感のある昇り階段がありそうなものだが、ここでは敷地にそって高まる気分を鎮めさせるかのように、下る階段が用意されている。だからロビーは、このぜいたくな空気で占められている。
 この空間が維持されてきたのも、ホテルの努力による。竣工当時の魅力を損なわぬよう改修が重ねられてきた。それは、建築はもちろんのこと家具にもおよぶ。建築にとって、家具もまた建築の魅力を相乗的に高める大事な要素であることはいうまでもないが、このホテルでも村野がロビーのために設計した椅子が、今なお現役で大事に使われている。
 この椅子は、「スワンチェア」と名前がつき、一般に販売もされている。その特徴は、低い座面である。座面の高さはなんと、320㎜しかない。それなのに背もたれは、普通の椅子と同じく400㎜の高さがとられているものだから、なんだか全体として見るとニョキッとした印象を受ける。なぜ、ここまで座面が低いのか。
 その効果を案内してくれたホテルマンが教えてくれた。「ここに座ると、ロビーの空間がより広く感じるんです」と。なるほど、確かに視線が低くなれば自然と天井は高く見える。視覚効果として、とても大きな空気が天井までゆったりと広がっているように見える。
 しかし一方でこうした設計をすると、視点の低い足元に目が行きがちだ。そこで、村野はインド砂岩を塗り込んだ落ち着いた風合いの柱に、光る粒のようなショーケースを配置している。この空間を彩る、タイルの床、砂岩の柱にショーケース、そして家具。それぞれの要素が視点の低い位置に配されているため、座ってみたときにぐっと凝縮された空間を感じることができるのだ。村野は、建築のまさに「足元」にもこだわっていた。

  • 自然に負けない有機性が、自然との調和を生んでいる
    芦ノ湖に面している円形平面の客室棟。
    有機的な造形のデザインが、周囲の豊かな自然と呼応している。

  • 自然に負けない有機性が、自然との調和を生んでいる
    客室棟のディテール。バルコニーの障壁や雨どいなども有機的な意匠。

  • 自然に負けない有機性が、自然との調和を生んでいる
    ロビーを短手方向に見る。
    座面の低い「スワンチェア」が、ロビーをより広く感じさせる。

    「ザ・プリンス 箱根芦ノ湖」本館2階平面図 PDFファイル - 1

ディテールは力学上の表現

 ところで、村野藤吾の建築と聞けば何を思い浮かべるだろう。「千代田生命本社ビル(現目黒区総合庁舎」(1966)の優雅な曲線階段や、「日生劇場」(63)のアコヤガイがちりばめられた天井、はたまた「世界平和記念聖堂」(54)の肌理(きめ)の粗い壁の仕上げだろうか。いずれにせよ村野は、多様な材料の使い手として同世代のモダニズムの建築家とは、ちょっと違った地位を築いた。それは彼の出自に関係するかもしれない。村野は、佐賀県唐津市で生まれ、八幡市(現北九州市)で育つ。そこから一度、八幡製鉄所に就職し工場で製鉄の現場に立つ。村野は後年、製鉄所で職人がスチームエンジンを勘ひとつで動かす様子を見たこと、それが自分の建築家としての出発点であったと語っている。材料を自らの手で扱った経験が、彼の材料への深い理解につながったのだろう。
 このホテルにも、エントランスの横にひとつ、また主宴会場へ至るところにも、曲線階段が取り付けられている。例にもれず優雅な階段であるが、それを際立たせるのが、手すりだろう。この手すりの優雅さは、そのディテールが生んでいる。村野は、ディテールを「力学上の表現」であるといい、部材同士がぶつかり合わないように共存させることで、建築で生活する人の心もまたなごませ、とげとげしささえなくさせるのだ、と語っている。そうした一見すると気づかない部分への気配りの集積が、あの巧みで繊細な手すりをつくり上げている。

  • 本館2階エントランスから1階へ下りる階段室。

    「ザ・プリンス 箱根芦ノ湖」本館2階平面図 PDFファイル - 3

  • 1階からグランドフロアの主宴会場へ下りる階段室。
    ゆるやかな曲線の手すりが、印象的なデザイン。

    「ザ・プリンス 箱根芦ノ湖」本館グランドフロア平面図 PDFファイル - 2

  • 主宴会場の壁際にある間接照明。曲面がつくり出すアルコーブが、
    陰影の表情を生み出している。

    「ザ・プリンス 箱根芦ノ湖」本館グランドフロア平面図 PDFファイル - 4

意図された高さと広がり

 さて、座面の低い椅子が置かれているのは、ロビーだけではない。レストランに置かれた椅子もまた、すべて低い。なぜ、ここまで天井を高く見せることにこだわったのだろうか。それは、このホテルの立地に起因するものだろう。このホテルは国立公園内に立地する。つまり、無闇やたらと改修や新しい建物をつくることができない場所だ。もちろん、商業施設として障壁ともなろうがその分、それにより守られる自然こそがこのホテル最大の資源でもある。村野もまた、自然と建築をいかに融合させるかに、このホテルでは苦心をしている。たとえば客室棟は、ふたつの円形の建物に分かれているが、この敷地は新しく地形を造成するのではなく、すでにあった自然の地形をできる限り利用している。
 客室棟は、全部で96室(現在は91室、別館が43室)であるが、ちょうど半分に分けて収めてある。それにレストランと会議室など、必要な要素がぴたりと納まり、まわりの木々に埋もれるほどの低い建物を実現している。しかし窮屈さを感じさせないのは、やはりこの低い椅子のおかげだろう。天井の低い廊下から、吹き抜けたレストランに入ると、その向こうには芦ノ湖が見える自然の風景が広がっており、思わず深呼吸したくなる。
 もちろん客室にも、そうした工夫がある。しかしこちらは、ロビーやレストランが高さへの演出であるとすれば、水平への広がりといってよい。ロビーを抜け、客室棟に入ると中庭に突き当たる。竣工当時から植えられている竹が、視点を高いほうへと向かわせる。客室にたどり着き扉を開けると、浴室とクロゼットに一度、視界をさえぎられる。歩みを進め、その向こう側に抜けるとバルコニー越しの芦ノ湖を、さらには向こう側の山並みを見渡すことができる。こうした高さや広がりを巧みに操りながら、設計の制約をまったく感じさせない空間の演出が、客室にまでおよんでいる。

  • エントランス側から見て左手の客室棟にあるレストラン「なだ万雅殿」。
    円弧状の平面。

    「ザ・プリンス 箱根芦ノ湖」本館グランドフロア平面図 PDFファイル - 6

  • 右手の客室棟にあるレストラン「ル・トリアノン」。円弧状の平面。

    「ザ・プリンス 箱根芦ノ湖」本館グランドフロア平面図 PDFファイル - 5

  • インテリア、照明そして家具も、建築と一体化して空間を演出している
    レストラン「なだ万雅殿」の馬をモチーフとしたペンダントライト。

  • インテリア、照明そして家具も、建築と一体化して空間を演出している
    レストラン「なだ万雅殿」のレンガ貼りの内壁とスチール製バルコニー。

  • インテリア、照明そして家具も、建築と一体化して空間を演出している
    レストラン「ル・トリアノン」の人面の装飾が付いているペンダントライト。

  • インテリア、照明そして家具も、建築と一体化して空間を演出している
    レストラン「ル・トリアノン」のインド砂岩の内壁と
    絵付けタイルのバルコニー。

  • 客室のベッドまわり。
    客室棟は円形平面のため、場所によって芦ノ湖、富士山などの異なる景色を
    眺めることができる。

    「ザ・プリンス 箱根芦ノ湖」本館2階平面図・客室平面図 PDFファイル - 7

  • 客室の水まわり。
    曲線の洗面カウンターは竣工当時からのオリジナル。
    カウンター側面にティッシュペーパーが組み込まれている。

村野の作品ではなく村野の関係した作品

 村野は、商業施設から公共施設、個人住宅から茶室に至るまで、本当に幅広い建築を残した。そしてザ・プリンス箱根芦ノ湖のように、建てられた当時の美しさをとどめながら、大事に使われているものも多い。それは建築家としての姿勢が、施主への共感を生むものだったからだろう。
 村野は晩年まで、建築家は徹底して謙虚でなくてはならない、そう述べていた。資本主義のなかで、建築は勘定できる資本であり、たとえば銀行であれば預金、公共施設であれば税金が使われるのであるから、現代の建築は社会のものなのだ、という認識をつねにもっていた。それゆえに、「村野の作品ではなく、村野の関係した作品」であり、たまたま関係しただけの話であり、作品はやはり社会のものなのだ。そうした態度は、決してニヒルな気持ちから来るものではない。彼は続けてこう語る。「だから社会の人にたいして建築を大事にしなさい、愛しなさい、傷つけてはいけない、ということがいえる。それは村野を生かすためじゃないでしょ。建築自身を生かすためのものじゃないかと思います」(『新建築』1980年1月号)と。

  • 客室棟の中央にある竹の植えられた中庭。

    「ザ・プリンス 箱根芦ノ湖」本館2階平面図 PDFファイル - 8

  • 手すりのデザインが特徴的な客室のバルコニー。

    「ザ・プリンス 箱根芦ノ湖」本館2階平面図・客室平面図 PDFファイル - 7

  • 正面エントランス。
    軒が深く、屋根が低くおさえられた控えめなたたずまいになっている。

「ザ・プリンス 箱根芦ノ湖」
  • 建築概要
    所在地 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根
    主要用途 宿泊施設
    建築主 プリンスホテル
    設計 村野藤吾/村野・森建築事務所
    施工 清水建設
    敷地面積 40,900.00㎡
    建築面積 5,988.39㎡
    延床面積 14,058.74㎡
    階数 地下2階、地上2階、塔屋1階
    構造 鉄筋コンクリート造、
    鉄骨鉄筋コンクリート造
    竣工 1978年

Profile
  • 村野藤吾

    Murano Togo

    むらの・とうご/1891年佐賀県唐津市に生まれる。1918年早稲田大学理工学部建築学科卒業後、渡邊節建築事務所入所。29年村野建築事務所(後に村野・森建築事務所)開設。84年逝去。ホテル、劇場、商業施設、事務所、そして和風建築など、関西を中心にさまざまな建築を手がけた。
    おもな作品=「世界平和記念聖堂」(54)、「日生劇場」(63)、「谷村美術館」(83)。

    写真提供/MURANO design

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