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Story15
インタビュー

当事者研究の最前線~障がいのある学生・研究者にも使いやすい実験環境を。デジタルヒューマンによる動作計測でTOTOが技術協力

story15 当事者研究の最前線~障がいのある学生・研究者にも使いやすい実験環境を。デジタルヒューマンによる動作計測でTOTOが技術協力

日本のSTEM(科学・技術・工学・数学)研究の現場は、空間が狭く、実験設備が使いにくいなど、身体的な障がいのある研究者にとって快適な環境とは言えません。そこで、東京大学先端科学技術研究センターでは、障がいのある研究者がキャリアを継続できる仕組みを研究・開発する、「インクルーシブ・アカデミア・プロジェクト」をスタート。TOTOは水まわり機器の動作計測で技術協力を行っています。

  • 東京大学先端科学技術研究センター 准教授
    熊谷晋一郎(くまがや・しんいちろう)さん
    生後すぐに脳性まひになり、車いすで生活する。東京大学医学部医学科卒業後、小児科医として約10年臨床を経験。現在は、障がいや病気などの困難を抱えた本人が、自らその解釈や対処法について思考・実践する「当事者研究」をテーマに研究や教育を行う。
  • 東京大学先端科学技術研究センター 准教授
    並木重宏(なみき・しげひろ)さん
    筑波大学大学院博士課程を修了後、米国へ留学。虫をモデルに、動物の神経系の働きと行動の関係を研究。病気をきっかけに車いすユーザーとなり、現在は東京大学内のプロジェクト「インクルーシブデザインラボラトリー」を主宰している。
  • TOTO株式会社 販売統括本部 UD・プレゼンテーション推進部 UD検証グループ
    鈴木貴弘(すずき・たかひろ)
    1989年入社。2006年よりロボット介護機器の基盤研究を始め、福祉機器の商品化研究に、2017年よりユニバーサルデザイン視点での商品開発支援・販売促進支援に携わる。また、動作計測技術を活用した新たな検証手法の活用を推進。

障がいがあっても使いやすい実験室の環境整備に着手

障がいがあっても使いやすい実験室の環境整備に着手

熊谷晋一郎さん(以下、熊谷)
並木重宏さん(以下、並木)
鈴木貴弘(以下、鈴木)

 熊谷さんと並木さんが東京大学で立ち上げた「インクルーシブデザインラボラトリー(以下、インクルーシブラボ)」では、主にどのような活動をされてきましたか?

熊谷:

インクルーシブラボは、病気や障がいを抱えている人でもアカデミアの世界で活躍できるバリアフリーな環境を構築する取り組みです。STEM(※)分野の研究では実験やものづくりを伴うことが多くありますが、私も並木さんもそのプロセスの中で「できないこと」がありました。そこで、障がいがあっても使い勝手のいい実験室を実現するためにどういう配慮が必要か、まずは先端研がその環境づくりをしてみようと開始したものです。

実験室の環境整備のほか、実験室デザインのガイドライン作成、作業療法士による実験に必要な動作の分析、障がいのあるSTEM研究者のインタビュー事例集の作成などをテーマに活動しています。

※科学、技術、工学、数学の研究・教育分野の総称

熊谷准教授は、医師として自閉スペクトラム症の研究などに当事者研究の手法を活用してきました

東大先端研は、大学と民間企業が連携をして、障がい者のSTEM教育の環境を研究・開発するプロジェクトを推進しています(インクルーシブ・アカデミア・プロジェクトHPより)

 おふたりの取り組む活動の前提に「合理的配慮」があるとのことですが、これはどのようなものですか?

熊谷:

合理的配慮とは、障がいの有無に関わりなく、すべての人が人権と基本的自由を行使できるように、環境の調整や変更といった「事前的環境整備」を行うことです。

障害者差別解消法では、障がい者に対する「不当な差別的取り扱いの禁止」と「合理的配慮の提供」が課されています。不当な取り扱いとは、例えば学校が障がい者を入学させないような場合ですね。一方で合理的配慮が提供されていないというのは機会や選択肢が平等ではない状態で、レストランに階段しかなく、車いすでは入店できないといったケースです。

つまりは、「特別扱いしてはいけない」ケース(=不公平になる)と、「特別扱いしなければならない」ケース(=不平等となる)があるということです。

実験室のバリアフリー化を目指すインクルーシブラボの全景。段差のない広めのスペースに、開発した実験什器が設置されています

当事者が主体となり、アカデミアを開かれた場所へ

当事者が主体となり、アカデミアを開かれた場所へ

 インクルーシブラボの取り組みは、東京大学の「インクルーシブ・アカデミア・プロジェクト」の一環と伺いました。プロジェクトの概要を教えてください。

熊谷:

このプロジェクトの目的は、アカデミアの世界を障がいのある学生や研究者に開かれた場所にするために、これまでの環境を変えることです。ここでいう“環境”には「ストラクチャー」と「カルチャー」の両面があります。ストラクチャーは、制度や物理的な環境、たとえば実験室の設備などで、並木さんが主に担当しています。

一方のカルチャーというのは、人々の価値観に基づく慣習や行動・態度の変容を意味します。これは主に私の研究室が担当しています。

私は研修医のとき、失敗した時に障がいが原因なのか未熟なことが原因なのか判断に迷い、医師としての適格性に悩んだことがあります。しかし、別の病院では、障がいの有無に関係なく個人のできることとできないことを互いに熟知し、現場の判断でカバーしあっており、私もうまく働けたのです。このとき、組織におけるカルチャーの重要性を痛感しました。

 インクルーシブ・アカデミア・プロジェクトは「当事者研究」のアプローチを取っていますね。どういった考え方でしょうか?

熊谷:

端的に言えば、これまで「研究対象」としての役割を担わされてきた障がい者などが、「研究をする側」に回る、ということです。「障がいについての一番の理解者は、障がい者自身である」という着想からスタートした方法論です。

ここでいう「当事者」という言葉は非常に広い意味で使われており、「何らかの困りごとを抱えながら、それを説明する理論や対処法がまだ世の中に存在しない人々」を指します。そうした当事者たちが研究主体となって、自分たちの困難を表す言葉を発明したり、理論を提唱したり、その困難を解消する手だてを考えたりする取り組みを当事者研究と呼んでいます。

左上/ハンドル位置を低くし、車いすに座ったままで操作できる緊急時シャワー。右上/不便さを解消するアイデアを盛り込んだ実験室環境をバーチャルリアリティ(VR)で検証。左下/車いすで回り込みやすく、高さも自由に変えられる昇降式円形テーブル

障がいは千差万別。どんな状態にも対応可能な実験什器が目標

障がいは千差万別。どんな状態にも対応可能な実験什器が目標

 この度、東京大学と各企業との産学連携で、障がいのある研究者に対応した化学実験用流し台の製作に取り組みました。どのようなきっかけ、役割分担で計画を進めましたか?

並木:

私が熊谷先生に「実験室でできない作業がある」という話をしたら、熊谷先生も同じご経験をされたことがあり、相談に乗っていただいていました。そんなとき、当時の先端研所長だった神崎亮平先生が、「障がいがあっても実験ができる環境づくりを進めてはどうか」とおっしゃってくださり、2019年、所内に小さなプロジェクトを立ち上げたのが始まりです。当初はほそぼそと活動していましたが、2020年4月からインクルーシブ・アカデミア・プロジェクトがスタートすることになり、インクルーシブラボも本格的に活動を開始しました。

それに先立ち、キックオフシンポジウムを開催したところ、株式会社GKデザイン機構さんとヤマト科学株式会社さんが興味を示してくれ、協働することになりました。主にGKデザイン機構さんが設計、ヤマト科学さんが製造を担当しています。両社が製作した試作品の効果を確認するために、TOTOさんにもお声がけし、参加してもらいました。

車いすユーザーとなり、一時は研究者の道を諦めかけたこともあるという並木さん。当事者研究者として実験室のバリアフリー化に取り組んでいます

 インクルーシブラボは、実験什器のどのような課題を、どう改善したのでしょうか?

並木:

私たちが一番困っていたのは実験用の流し台です。そこでまず、車いすユーザーである4人の研究者が実際に従来の流し台を使ってみて、どのような状態になるのかを確かめました。「障がいの状態や作業によって使いやすい天板の高さが異なること」「水が腕を伝って濡れてしまうこと」「膝下がシンク下に入らないため上半身が寄り付けず、作業がしづらいこと」などの声が多く挙がってきました。
また、作業に介助が必要な場合に「横幅が狭く、介助者が入れない」、自身のリーチが短いため「水栓を使えない」、流し台につかまって作業しようとしても「ふちにかかりがなく、掴めない」といった課題も見つかりました。

これを受けて、試作品では「各人が使いやすい高さにシンクを昇降できる」「シンク下の扉をなくし、膝下が入るようにする」「シンクの奥行きを短くし、手が届きやすくする」「手前で操作できる水栓にする」「シンクのふちをグリップできる形状とする」といった工夫を取り入れました。

上/タッチレス水栓を備えた流し台。シンク下に膝下が入る、横長で介助者と並んで使える、奥行きが短いなどの工夫をした。左下/洗眼用シャワーも備えた。右下/設計段階の原寸大模型

 TOTOに検証を依頼した理由は?

並木:

TOTOさんは水まわり製品の使用性配慮に関する知見が豊富であり、ユニバーサルデザインの取り組みでも有名ですから、まずは研究所を見学したいと思いました。研究所で動作分析のための計測手法の説明を受け、協働を持ち掛けました。モーションキャプチャについては、大掛かりな装置で行う光学式しか知らなかったので、研究所へ試作品を運び込むなどの手間がかかるものだと思っていましたが、そこに身体にセンサを装着して計測する慣性センサ式モーションキャプチャを紹介いただき、それであればインクルーシブラボから試作品を移動させずに計測ができると知った時は、大変助かると思いました。

当事者を被験者とした動作分析を商品開発へ活用

当事者を被験者とした動作分析を商品開発へ活用

 TOTOはどのような手法で検証を行ったのでしょうか?その検証方法を選んだのはなぜですか?

鈴木:

まず手を洗う、ビーカーを洗うなど実験で行うタスクを設定し、並木先生に実演してもらいながら、実験条件を定めていきました。そのうえで、試作品の形状的な工夫や昇降機能の効果といった作業中の動作のしやすさ、姿勢の安定性などが、どこに現れるかを設定していきました。その様子を捉える手段として、TOTOの保有するモーションキャプチャの手法を使って計測を行い、試作品の効果を確認していきました。

モーションキャプチャにはいくつかの方法がありますが、今回の試験のように実際に水を使用すると、水が赤外線を反射してしまうため、カメラを使う光学式は適しませんでした。そこで、慣性センサ式でキャプチャする手段を選んだのですが、結果的に実際の実験室内での検証が可能となりました。

「当事者研究者である並木先生のご協力のおかげで、より実態に即した検証ができた」と実感

被験者の身体各部に装着したセンサからのデータを取り込み、被験者の姿勢、動作をコンピュータ上にデジタルヒューマンとして再現します(写真・資料提供/TOTO)

 TOTOはこのプロジェクトに参画して、どのような知見や学びを得ましたか?

鈴木:

当初は、STEM研究者の実験室環境整備というと当社の事業とは畑違いな気がしましたが、さまざまな身体状況の方が研究内容によっていろいろな使い方をする中には、一般家庭と共通する点も多いことに気づきました。

また、これまで車いすユーザーの方に製品の使用感について数多く評価いただいてきましたが、当事者に直接センサを付けて動作を計測したことがなく、今回が初めての試みになりました。並木先生は当事者研究者でありプロジェクトのメンバーでもあるので、的確なアドバイスをいただきクリアできました。おかげで、車いすに座って行う動作を計測する際の技術確立へ向けて一歩前進できました。

 この流し台製作の経験をもとに、今後どのような展開をお考えですか?

並木:

今回の流し台については他の車いすユーザーの研究者からも「使いやすい」と評価をもらっています。ただし、価格が高いので、今後は廉価版を開発したいというのが一つ。もう一つは、より性能を高めたいということです。キッチンと実験室は、水を使った作業や収納物の出し入れなど、似ている点も多いので、流し台以外でもTOTOさんと協働できることはたくさんあると思います。

今、分析していただいている動作検証の結果、この流し台の使いやすさを数値で示せるようになれば、それは他大学に導入を勧める際にも有効な手段になるでしょう。

鈴木:

このプロジェクトを通して、当社が製品を開発する段階で見るべきポイントのヒントをいただいたので、自社の取り組みにフィードバックすることを視野に入れています。インクルーシブ・アカデミア・プロジェクト自体がインクルーシブな教育環境を実現する上で、大変意義のあるものなので、今後も微力ながらご協力させていただきたいと思っています。

熊谷:

今後やるべきことは、横展開とロビーイングだと思っています。ここで創意工夫して出来上がってきたリソースをどうしたらさまざまな場面で活用してもらえるか。また、一つの大学だけでは突破できない課題も多く、公益社団法人日本工学アカデミーさんと共同で政策提言も行ったものの、その実現のためには産官学を巻き込むロビー活動が重要です。ゆくゆくは、学術そのものをユーザー主導に変革していく「アカデミアのトランスフォーメーション」にもつなげていきたいと考えています。

実験環境の整備を端緒として、プロジェクトの展望はアカデミアのトランスフォーメーションにまで広がっていきます

編集後記より多くの人が平等に機会を与えられるべき、それは学術の世界でも変わりません。この度、障がいのある方々を含め誰もが使える化学実験用の流し台が実現したのは画期的ながら、今後はますます多くのシーンにこのような現場の改善が広がってほしいもの。貴重な「当事者研究」による的確な情報を生かし、行政や民間企業などさまざまな立場の人たちが経済面、技術面などで総合的にバックアップし、そのような改善を迅速に実現していくべきではないでしょうか。編集者 介川 亜紀

写真/鈴木愛子(特記以外)、取材・文/三上美絵、構成/介川亜紀  2023年7月21日掲載
※『ユニバーサルデザインStory』の記事内容は、掲載時点での情報です。


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