特集3/ケーススタディ

異形の屋根のデザイン意志

「後悔しない建築の仕事をしたかった」と野沢正光さんは言っている。それこそ30年前、野沢さんが独立して設計の仕事を始めた頃の話だという。東京芸術大学を卒業し、大高建築設計事務所を経て独立したとき、野沢さんはまだ「何を手がかりに設計をしていくべきか悩んでいた」ということなのだ。
 20年以上も前に拝見させてもらった「南伊豆の住宅1」(1988)はすばらしい木造だった。そのとき、僕はこの人を完成された建築家だと信じていた。芸大出身らしい細部まで美しいモダン和風。「く」の字に折れたプラン、コンセプチュアルな連続する空間構成も新鮮だった。しかし、あの頃、野沢さんの建築家としての思いは、まだ形にはなっていない試行錯誤の時代だったのだろうか。
 その後「手がかり」は「環境、住宅性能」という言葉へと収束していく。住環境であり、建築の長寿命化でありトータルな環境へと関心はまとまっていく。
 奥村昭雄さんなど友人や先輩たちと組んで試行錯誤した野沢さんたちの研究結果は、空気集熱型パッシブソーラーへと実っていった。しかし、今ではフランチャイズ化までされているそのシステムの使い方、生かし方はある意味、野沢さんはほかの人とは違ったアプローチをしているようにみえる。初期のコンセプトへのこだわりを示しながら、今ひとつ違う表現の世界を試みているようにみえる。

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