インタビュー

大阪新歌舞伎座」の原型は、道後温泉

——それにしても、「大阪新歌舞伎座」での唐破風の用い方は大胆です。

長谷川 あの建築の是非は意見が分かれるのですが、僕は「大阪新歌舞伎座」を評価しないで、村野藤吾を評価することはできないと思いますね。村野さんは、先ほどの現在主義の手法によって、自分のイメージソースになるようなものを過去から見つけてきて、それをファサード前面に張り付けて連続させているわけ。破格のアイデアですよ。ただ、僕も大学を出た頃は、ちゃきちゃきのモダニストでしたから、できたばかりの「大阪新歌舞伎座」を写真で見て、村野さんは変なことをやるな、と思っていたのは間違いない(笑)。それから10年くらいたってから大阪に行ったとき、御堂筋を歩いていて、とにかく、まあ驚いたね。いわゆる近代的なビルが立ち並ぶあの通りのなかで、格別にリアルに実存しているというか、でんと構えていて、すごい、やられた、と思いました。それまではキッチュなファサードデザインくらいにしか思っていなかったので、ガツーンとやられましたよ。建築とはなんだろう、ということを真剣に考えさせられました。

——あの唐破風のイメージソースはなんでしょうか。

長谷川 村野さんは公表していませんが、僕は原型を見つけたんですよ。愛媛の道後温泉です。あそこに「神の湯本館」(1897)という3階建ての建物があるのですが、その1階部分に3つの唐破風が連続している意匠があるんです。それは、もうそっくりですよ。結局、本人に聞くことはできなかったのですが、村野さんは戦前から愛媛で仕事をしていましたから、おそらく影響を受けているだろうと思います。

——確かに「大阪新歌舞伎座」は正統な日本建築よりも、大衆的な賑わいを感じる道後温泉の世界観のほうが近い感じがしますね。

長谷川 それはそうですよ、歌舞伎ですから。正統から傾(かぶ)く、つまりはずれるものですから。社会体制にはまらないで、むしろドロップアウトするような個人主義ですから、あれくらい傾いていて当然です。

——イメージソースといえば、村野藤吾の和風は、古歌を自作に取り入れて自分の和歌をつくる「本歌取りの手法」といわれることもありますが。

長谷川 そうですが、村野さんとしては「本歌取り」というのは、あまり意識していなかったのではないかと思います。先ほども言ったように、村野さんは自分自身を表現するために、過去の建築、未来の建築を含めて、あらゆるものを自分の頭の中に入れて、それを熟成させるというか、発酵させていた人だから、その対象をいわゆる「本歌」として探し出すことはできるけれども、本人はそれを「本歌取り」というかたちでは考えてはいなかったでしょうね。村野さんの建築を見ると、和風に限らず、たとえばルドルフ・シンドラーとか、ルイス・カーンとか、いろいろな建築家からの影響も見て取れますよ。でも、それは真似ではありません。自分の文脈のなかで、自分の語彙としてそれを用いている、ということだと思います。

>> 「大阪新歌舞伎座」の解説
>> 「道後温泉本館」の解説

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