Interview

過疎化した地方で働く

 徳島県名西(みょうざい)郡の神山町は過疎化が進むなか、20年ほど前から活性化のための活動をつづけ、2011年には転入者が転出者を上まわった。鍵となったのは、民間のNPO法人グリーンバレーの取り組み。過疎化しつつも持続可能な町を目指して、企業や移住者の誘致をすすめている。 また、そうした企業のひとつとして、神山町にサテライトオフィスを構えたのが、株式会社えんがわ。地方との垣根をはらうために、近隣の人々と交流できる縁側をもった、「えんがわオフィス」をつくった。古民家などの社会資源の活用が、成功の秘訣だろうか。 オフィスの設計者のひとりである伊藤暁さんとともに、グリーンバレー理事長の大南信也さん、えんがわ代表の隅田徹さんに話を聞いた。

建築家 伊藤 暁

NPO法人グリーンバレー理事長 大南信也

(株)えんがわ 代表取締役社長理事長 隅田 徹

司会・まとめ/伏見 唯
写真/川辺明伸

  • [特集]社会資源の発掘
     建築家  伊藤 暁
     NPO法人グリーンバレー理事長 大南信也
    (株)えんがわ 代表取締役社長 理事長 隅田 徹

どこにでもある過疎の町

徳島県名西郡神山町は、大容量のインターネット通信の整備もあり、IT企業などがオフィスを構え、移住者も増えて、日本のシリコンバレーといわれるほど、地方活性化の旗手として知られています。まずは神山町がどういった町なのかを教えてください。

大南信也全国的に見ればどこにでもあるような、人口6000人ほどの過疎の町です。きわだった特徴とか、有名な観光地とか、そういうものはほとんどありません。棚田がありますが、能登のように立派な棚田でもありませんし、観光の目玉になるような突出したものがないんです。ある面では、すべてが中途半端に散在している、といった雰囲気だと思います。

えんがわオフィス」のある寄井商店街には、昔の建物も残っていますね。

大南日本の田舎町にはよくある商店街です。たとえば、大きな街道沿いにあった宿場町のような歴史はまったくなくて、ほとんど町内の人だけが通行する場所でした。かつては、町内で自給自足できるように、こういった商店街で生活に必要なすべてを揃えることができたんです。
 ただ、徳島市内や近郊に量販店やスーパーができたことによって、こういう商店街では、商店がどんどん減っていく状況がつづいています。客が離れていって、店主の生活が成り立たなくなりますから、店を閉めて町外に出ていく、という悪循環が起こっています。

神山町は、その流れとは別の道を探ろうとしているわけですね。

大南いえ、だいたいはまだ同じ流れのなかにいます。若い人たちが多少起業したり、こういうオフィスができたりして、活性化するひとつの芽が見えはじめたぐらいのところかと思います。転入人口が転出人口を上まわったとはいっても、年間で150名くらいの人が亡くなられますから、全体の趨勢としては、やはりずっと人口は減りつづけていきます。そこに抗うのは難しいので、ものさしを根本的に変えたほうがよいと思っています。

「創造的過疎」という考え方ですね。

大南ええ。人口の数だけをものさしにしていたら、日本全体が人口減少の時代に入るわけですから、負け組ばかりになってしまいます。過疎はもう避けられないわけですから、もう少し内容的なもの、住人の生活の質をものさしにしていけば、こういう過疎の町が生き残る方法というか、持続する術を探せるのではないかと思っています。いろいろと試みてきました。アーティスト・イン・レジデンスや、神山での仕事を誘致するワーク・イン・レジデンスの企画などをしてきました。

よそ者を受け入れる土壌

伊藤さんは、どういったきっかけで、神山町にかかわるようになったのですか。

伊藤 暁大南さんたちの活動を紹介する「イン神山」というウェブサイトがあるのですが、それを見たのが神山を知ったきっかけだったと思います。
 大南さんが言われたように、人口減少によって困っている町は、日本にたくさんありますから、建築業界でも、そういう社会に適した試作住宅を考えるプロジェクトとか、イベントを企画するような流れがありました。僕もいくつかの地域で参加していましたが、なかなかうまくいきませんでした。たとえば、「東京に住んでいます」と自己紹介すると、地方の人の心の扉がパタンと閉じてしまうような経験を何度もしてしまいました。僕としては、自分が修業してきた建築設計という技術で社会に貢献したいという想いがすごくありましたが、今振り返ると、かなり空まわりしていたと思います。そういう悩みの時期に、神山町の情報を得ました。神山を訪ねてみたら、出会う人たちがみなさん楽しそうで、まずそのことにとても驚きました。

そこから、いろいろな活動に参加するようになるのですね。

伊藤ただ、そんなにたくさんイベントがあるわけではないですからね。大南さんが言われるように観光名所もほとんどありませんし、本当に普通の町だから神山に来る理由があんまりないんですよ(笑)。神山に来たくても来るネタが少ないので、自分でネタを考えなければならなくなりました。それで、この「えんがわオフィス」の隣にある寄井座という劇場で、寄井商店街の将来を考えるワークショップを有志の建築家や学生と企画したりしていました。そのワークショップがきっかけで、隅田さんと出会いました。

隅田 徹僕らの会社でサテライトオフィスを神山にもとうということで、すでに古民家を買う話を進めていたときに、伊藤さんたちを知ったんです。

  • 寄井商店街
     神山町役場周辺の寄井商店街。いくつか古い建物が散在している。
    えんがわオフィス」もこの一画にある。

    写真提供/伊藤 暁

  • 寄井座
     大正末期から昭和初期に建てられた劇場。
    昭和30年代半ばまで演劇や映画などが上演上映されていた。
    今また、復活が望まれている。

働く場所を選べる会社

テレビ番組や映像コンテンツの編集制作や配信などを行っている会社((株)プラットイーズ、(株)えんがわは子会社)が、地方にサテライトオフィスを構えたのはなぜですか。

隅田クライアントとの契約上、BCP(事業継続性計画。災害などの緊急時にも事業を継続できるようにする計画)を企業として考えなくてはならないということになり、それまで東京の恵比寿に1カ所しかなかったオフィスを拠点分散するために、サテライトオフィスを構えました。
 また、社員自身が働く環境を選べたほうがいい、という考えもありました。経営者の役割のひとつは、社員の働く環境を整えるということだと思うのですが、環境というものは人によって感覚が違いますから、選べるようにしたほうがいい、ということになったんです。どうせ選ぶなら、まったく異なるほうがよいと思ったので、恵比寿にある都心のオフィスと対比して、田舎の古民家オフィスをつくることにしました。

神山を選ばれたのは、なぜでしょう。

隅田全国20カ所くらいの場所で、古民家を探しました。北海道から九州まで、いろいろなところをまわりました。どこも悪いところではなかったのですが、普通、というか想像の範囲内、という印象でした。役所がとてもまじめに主導していて、企業誘致の担当者はすごくがんばっていましたが、住民とは少し温度差があるようでした。その点、神山は全然違った。役所の主導ではないし、そもそもあまり誘致活動はしていないでしょう(笑)。

大南そうですね。「好きだったら来たら」くらいにしかすすめていません(笑)。

NPOグリーンバレーは、行政から移住促進事業を任されていますよね。

大南大事なのは、町と企業とのあいだにフラットな土壌をつくるということだと思っています。受け入れ側が、企業に対してぜひ来てくださいとお願いするかたちになってしまうと、企業が町側よりどうしても上の存在のようになってしまう。でもお互いにとって、人間の一番心地のよい状態はフラットな関係だと思うんです。

隅田移住促進のための営業的なことはほとんどしていなかったのですが、会う人会う人みんなが楽しそうでした。過疎、といいつつも、ぜんぜん暗くない。伊藤さんが言われるように、外の人が入りやすい雰囲気もありました。これが田舎で仕事をするうえで、すごく重要なポイントでした。

えんがわオフィス」で働いているのは、地元の人が多いと聞きました。

隅田そうですね。ただ、僕らは実質重視で社員を採用していますから、何も地元を優遇しているわけではないんです。徳島県の出身者で東京や大阪に出て仕事をしていた人が、地元で求人があるなら地元で働きたいということで、たくさん応募してくれた結果なんです。
 またもともといた社員も、恵比寿ではなく神山を選んだのは、徳島県出身者や四国出身者でしたので、結果的に地元の社員が集まりました。こういったサテライトオフィスが増えていけば、地方出身者が都心に出ずに地元で働くことも増えていくでしょうね。

オープン&シームレスを具現化

えんがわオフィス」は、全体がガラス張り、家のまわりを縁側が囲む建築です。どういった考えがあったのでしょうか。

隅田会社のコンセプトとして「オープン&シームレス」というものがあります。「オープン」というのは、情報を社内外と共有して新しいものをつくっていく、ということです。他社に情報をとられるというデメリットもありますが、情報が活性化するのでメリットも多いと判断しています。「シームレス」は仕事と暮らしを一緒に考えよう、というものです。仕事をしている時間はとても長いわけですから、楽しく趣味性をもってやれたらいいよね、と考えています。あくまで会社のコンセプトなのですが、この「オープン&シームレス」を具体的な建築にしてください、とお願いをしました(笑)。

伊藤直訳というわけではありませんが、外壁をガラス張りにして見通しがきくように設計しました。ただ、ガラスの壁だけだと境界として強すぎるので、周囲を縁側で囲っています。

隅田この縁側は、地域の人と交わるポイントになりました。ふつう、社員でもなければオフィスに用事はありませんよね。だから、用がなくても来やすい仕掛けをつくりたくて、縁側をつくってほしいとお願いしました。こんな大きな縁側になるとは思ってなかった(笑)。

伊藤人が集まる場所を考えていましたからね。昨日も大にぎわいでしたね。

隅田ええ、昨日の七夕祭りには近所の人たちが200人近く集まりました。縁側が大活躍でした。

イベントがなくても、人は来るのでしょうか。

隅田ここは、寄井座がある隣の土地のオーナーと話をして、門を設けずに誰でも通り抜けができるようにしたんです。そのおかげで、いろいろな人がどんどん入ってきます。

大南中にも入れてもらえるから、まさにオープンだし、シームレス(笑)。

隅田人に見られている状況は、クリエイティブワークにとってよい刺激になる、という話を聞いたことがあります。本当かどうかわかりませんが、少し信じているんです。本来人間は囲われた場所にいたがる本能があると思いますが、本能とは逆だからこそ刺激になり、創作にもよい影響を与えるのだと思っています。また、中が丸見えだと、地域の人があまり疑心暗鬼になりません。よそから来た企業が中で何をやっているのかがわからなかったら、すごく不安になるでしょうから。

  • えんがわオフィスイベント
    えんがわオフィス」では、社員だけでなく数多くの近隣住民も参加する
    イベントが催されている。
    七夕祭りの様子。縁側には地域住民が腰掛けている。

    写真提供/えんがわ

  • えんがわオフィスイベント
    えんがわオフィス」では、社員だけでなく数多くの近隣住民も参加する
    イベントが催されている。
    オフィス前の広場に多くの人が集まっている。

    写真提供/えんがわ

「社会資源の発掘」は、あくまで結果

いろいろな企業や移住者の受け入れをすると器が必要になると思いますが、そのときに空いている古民家を利用するのは、今回のテーマである「社会資源の発掘」になっていますね。

大南もし仮にお金がたくさんあるのでしたら、新しい建物を建てて企業や移住者の誘致をしてもよいのではないでしょうか。たまたま僕らは民間で活動をしているので、政策的なお金は使えませんから、できることに限界があります。だから、空き家を紹介するしかない。

隅田えんがわオフィス」に改修する前の古民家は、恵比寿のオフィスの1カ月分の家賃よりも安い値段で買いましたから。実際に古民家を購入した側の立場からいえば、買ったのは単純に価格が安いという理由でした。手もちの流動資金で買えてしまえるわけですから。東京のオフィスだと、そうはいきません。高級車だったら、車より安い(笑)。

大南改修には、車何台分もかかっているでしょ(笑)。

隅田そう、改修には1億円くらいはかかっています。設備に半分、建物に半分。ただ、設備コストはどこだろうとかかるものです。逆に都心のビルを借りてオフィスにしていたら、原状回復をしなくてはならないでしょうから、そちらのほうが大変です。

伊藤僕は、お金がないということも、空き家が残っているということも、やはりマイナスということではなくて、ひとつのコンテクストというか、付き合っていくべき状況だと思うんです。
 何が「社会資源」なのか、というのはケース・バイ・ケースで、実際はすべてが資源だと思っています。その資源にどれだけ気がついて、どれだけ採取できて、どれだけ編集できて、どれだけ構築できるのか、ということが大事だし、一番おもしろい。こういう資源はこう活用しよう、というメソッドはありません。お金がないということすら、ひとつの資源かもしれません。

結果的には、日本中にたくさんある木造建築の未来を感じさせるプロジェクトになりましたね。

大南もともと木造建築は数十年後には壊すという前提で考えられてきましたが、それ以外の道もあるということを見せた意義は大きかったと思います。これからは木造の可能性を建築家自身もきちんと伝えていく必要があって、木造でもしっかりと残る、むしろ時代を経るごとにどんどん価値が上がっていく、という考えを広げていってほしいと思っています。

伊藤この「えんがわオフィス」ができたときに、こんなふうに直るんだったら古い家もいいなみたいなことを、近所の人が言ってくれたそうですね。以前の経験を思い返すと、社会貢献って、それを目指すと空まわりしてしまいますが、今回は結果的に何か少し貢献できたかもしれません(笑)。

大南大丈夫、地域の人は気づいていますよ。

順調に過疎化していく

神山町の「創造的過疎」は、今後どういう方向にいくのでしょうか。

大南順調に過疎化していくと思います(笑)。ただ、若い世代をあまり減らさないことを目標にしています。たとえば、これから20〜30年後に小学校の1学年に20人はいる町をつくりたい。今は20数人くらい。これを実現するためには、たとえば子どもふたりの4人の家族を年間5世帯受け入れる必要があるという計算になる。その目標のために準備をしているんです。人口は減りますが、町の体質を筋肉質に変えていきたいと考えています。
 また伊藤さんたち建築家や、隅田さんたちのような企業が入ってくることで、明らかに町はおもしろく、楽しくなっています。過疎というマイナス面を、やはりプラスにとらえていかないと。

隅田最初に大南さんが言われたように、地理、景観、あるいは産業や物価などのことでいえば、神山はどこにでもある普通の田舎だと思います。やはり僕が神山で魅力的に感じたのは、「人」なんです。ここに住んで、ここの人たちと暮らしたら、おもしろいだろうな、と思ったのです。大南さんたちのスタンスが築いた土壌ですね。

建築には、どういった役割が担えるでしょうか。

伊藤建築にできることはさまざまだと思いますが、重要なのは建築ですべてを解決しようとしないことだと思います。最初に建築をとおして社会貢献をしたかったと言いましたが、それはとてもおこがましかったと感じています。「貢献したい」みたいな想いが先に立つと、どうしても建築の手柄にしたいというか、いろいろなことを引き受けてイニシアチブをとりたくなってしまうのですが、それよりもそこで起きていることとか、そこにいる人たち、そこにあるネットワークを観察して、建築がその「一部」になればいい。いろいろな人がそれぞれ楽しく豊かに生活できるというのが、きっといい社会だと思うのですが、建築はその傍にそっとある、くらいのほうがうまくいくんじゃないかと思います。
 神山に来ると誰と話してもいつも学ぶことがあります。本当におもしろい。

Profile
  • 建築家

    伊藤 暁

    Ito Satoru

    いとう・さとる/1976年東京都生まれ。2000年横浜国立大学工学部建設学科卒業。02年同大学大学院修士課程修了。02~06年aat+ヨコミゾマコト建築設計事務所。07年伊藤暁建築設計事務所設立。10年BUS参加。おもな作品=「半丈の書架」(13)、「横浜の住宅」(14)、「WEEK神山」(15、須磨一清+坂東幸輔と共同設計)。

  • NPO法人グリーンバレー理事長

    大南信也

    Ominami Shinya

    おおみなみ・しんや/1953年徳島県名西郡神山町生まれ。1978年スタンフォード大学大学院修了。帰国後、神山にて住民主導のまちづくりを実践し、全国初となる道路清掃活動「アドプト・プログラム」や「神山アーティスト・イン・レジデンス」を始動。2004年NPO法人グリーンバレー設立。07年神山町移住交流支援センターを受託運営。結果、11年度に転出人口より転入人口が上まわる社会動態人口増を実現した。大南組、大南コンクリート工業社長。

  • (株)えんがわ 代表取締役社長

    隅田 徹

    Sumita Tetsu

    すみた・てつ/1962年大阪府生まれ。1987年慶應義塾大学経済学部卒業後、日本ケーブルテレビジョンに入社し、CNNニュースの配信事業に従事。2002年プラットイーズを設立し、メタデータ(番組詳細情報)の配信などを行う。13年神山町に「えんがわオフィス」を開設。同年えんがわを設立し、4K8K映像の配信などを行う。プラットイーズ取締役会長、えんがわ代表取締役社長。