Touchstone, The Furniture designed by Teruaki Ohashi
2006 9.16-2005 11.18
展覧会レポート
大橋晃朗から放たれて、遊びまわる家具たちをかいま見た
レポーター:鈴木 明
 
大橋晃朗が亡くなってから14年、けっして長いとはいえなかった彼の家具デザイナーとしての活動期間で生み出された、ほとんどの作品(写真1〜3)を集めた展覧会である。といっても単なる回顧展(レトロスペクティヴ)ではないことは監修者の面々(多木浩二伊東豊雄坂本一成)を見れば予測できた。

大橋ははじめ篠原一男に師事し建築を学び、研究室に所属し「白の家」(1966)などの設計に携わる一方、その室内に置かれる収納家具をデザインした。独立後、ふたつの住宅を設計するが、シェーカー椅子の復原を試みた後、本格的な家具制作を活動の中心とするようになる。同時に坂本一成、伊東豊雄ら同世代の建築家が創造する空間に据えるべく、キャビネットやテーブルや椅子を生み出してきた。
今回展示された家具は、日本の伝統的家具に通じる箱物の「木地箱」「車箱」(1973)から、安価な合板を切り抜いたパーツをボルトで組み立てた「バード・バッド」(1981)シリーズを経て、カラフルかつ構造も素材もそれまでの流れから弾け出た「ハンナン・チェア」(1985)や「ドナルド・ダック」(1989)に至る。
周知のように、ギャラリー・間の展示スペースは3階の第1展示室と外部テラス、さらに階段を上った4階の第2展示室からなっているが、今回は4階に1983年までの作品を集めた空間を坂本が、それ以降の作品を3階展示室に集め伊東が、それぞれ作品の配置をした。異なったテイストのインスタレーションは大橋がふたりの建築家との創造をともにした時期の違いを示しているだけではなく、彼が家具というオブジェクトに込めた思索の展開過程を表しているようである。

初期の作品群は箱物と椅子を「台」にまで還元した「椅子または台のようなイス/ミリ」に代表されるだろう。坂本の建築論と同じく、家具を厳しく原型に遡行させ再構成を試みた成果である。壁面に描かれた実寸の図面、棚に置かれた小さな模型は単なる制作図ではなく、モノを介した激しい対話の結果である。床面に敷きつめた合板の床の上に、それらはキッチリと隙なく置かれていて、哲学者ヴィトゲンシュタインの思索のごとく、そこには一寸の遊びも許されない空間(たとえチッペンデール家具の装飾が混ざっていたとしても)を形成しているのである。
それに対して、伊東が担当した「ハンナン・チェア」シリーズがゆったりと置かれた階下の空間は、テキスタイルのカラフルさや「トーキョー・ミッキー・マウス」(1988)が誘うほとんど寝姿の座り姿勢も手伝って、気楽で気ままな空間の、現代の(90年代以降の)建築空間に通じる、明るさとルーズさを見せているようであった。
ふたつの展示空間、作品群の差異は、見た目にも空間的としても歴然としているが、それは大橋の経験した70年代から90年代の文化と社会の有り様に対応しているとも、あるいは協働したふたりの建築家の思想や作風の推移に対応していると見ることも可能である。
第1会場
第1展示室パノラマ画像
第2会場
第2展示室パノラマ画像
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第1展示室(3階)
第2展示室
第2展示室(4階)
中庭から見る
中庭から見る

写真撮影=藤塚光政

ところが、ぼくはその二つの対比のさらに先に隠れていた「読み」をかいま見てしまったのである。それは、ふたつの展示空間の間、外部テラスに置かれた複数のボード・ストゥール(バード・バッド)たちの、さざめきであった。
展覧会オープニングの夜、誰もいなくなったテラス。6つの小椅子が丸テーブルを囲み、一方4つの小椅子はきちんと並んで壁に大伸ばしした「シルバーハット」(1984)と「祖師谷の家」(1981)を眺めているのを、ぼくはデッキから見下ろして確認している。しかし再び訪れた夜遅く、スタッフの方にお願いして特別にスポットを灯してもらったテラスには、同じ10脚の丸い座のストゥールたちが、来訪者に座を許しあるいは議論の場を提供したのだろうか、勝手な方向を向きながらテラスのあちこちに佇んでいるではないか。それは小椅子たちが闇の中を自在に遊び回り、おしゃべりをしていた瞬間を盗み見られたので、瞬間的に硬直した姿であった。

本展の作品集(『タッチストン 大橋晃朗の家具』、TOTO出版)には、多木浩二と対話した大橋の言葉が収められている。
「言葉で説明できることを超え第1会場ているのがイメージで、人を無意識に動かすイメージをつくって何かをつくっていくこと。そういうことを考えだしていると思えます。」(314頁)
「台」としての椅子という原理を発見した後、「トーキョー・ミッキー・マウス」に至って、座る姿勢さえも解体してしまった大橋の、家具を媒介した空間とヒトが交わすイメージの探求。それは伊東が同様の探求を「せんだいメディアテーク」(2001)で行なった末、建築(施設)の基本的な構成要素である「部屋」という単位を否定したために起こった出来事のことではないか。その経験を経たぼくたちには、大橋が、家具というオブジェクトを超えて広がるヒトの行為や出来事、つまり「インタラクション」をデザインしているのだ、と説明することできる。
大橋がもし生きていたら、テラスに遊ぶ小椅子たちの光景をかいま見たら…。はたして、どんな言葉を探し出してきたのだろうか?

大橋がたどった家具を巡る探求は、オブジェクトにかたちを与える「家具デザイナー」という職能に収まりきれない、深くそして広がりを持ったものだった。展覧会場に一堂に集められた大橋に遺された家具たちは、展覧会の限られた期間だけ、その広がりの向こうにほの見えていた楽園で、約束されていたはずの出来事をかいま見せてくれているのではないだろうか…。ぼくはそう納得した。

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