特集1/インタビュー

全体をゆるがす部分の設計

作品/躯体の窓
設計/増田信吾+大坪克亘

これまで増田信吾さんと大坪克亘さんは塀と窓を設計し、次は基礎だという。そこには、独学の建築家らしい真摯な姿勢があった。なぜ部分ばかりを設計するのか。「躯体の窓」でお話を聞いた。

聞き手・まとめ/伏見唯
写真/傍島利浩

素朴な疑問を考えたい

——おふたりはどこで知り合いになったのですか。

増田信吾 最初は、大学受験のための予備校で知り合いました。美大の建築学科を受験するためのコースで、試験に向けて水彩画を描いたり立体物をつくる学校でした。トレーシングペーパーで1mのキャンチレバーをつくるといった、建築学科向けらしく、基本的な構造を理解するような課題も出ました。まわりには恵まれていて、単に課題をこなすだけでなく、十代ながら議論を深められるような仲間が集っていました。大坪とも、そのとき以来の仲です。大学は違っても、予備校仲間の付き合いは続き、お互いに課題を見せ合うようなことはしていました。

——なぜ建築学科を選んだのでしょう。

大坪克亘 芸術系に進みたかったのですが、芸術だけをやりたかったわけではなかったので、いろいろなことを包括している分野として建築を選びました。建築家になりたい、というほど強い意志がはじめからあったわけではありません。
増田 プレゼンしてプロジェクトを実現する力は、なんの仕事をするのにも必要だろう、と思いました。営業をするにもなんにしても。じつはぼくは大学に入る前に一度仕事をしていて、衛星放送の飛び込み営業をやっていたんです(笑)。

——すごい現実的な十代ですね(笑)。結局おふたりは建築家への道を歩んだわけですが、大学卒業時に建設会社や設計事務所へ就職することも考えましたか。

大坪 そのときは考えなかったですね。大学院への進学は考えましたが、2年間でいったい何を研究するのか、まったく想像ができなかったのでやめました。一度建築から離れようとも思いましたし、いわば迷子状態でしたので、準備期間のようなものが必要な気がしていました。
増田 ぼくも同じ考えでした。大学院に行くと今後の指針が決まりすぎると思いました。後から考えると、わからないこと、消化できないことが多すぎて、どこから手をつけてよいのかわからなかったのだと思います。それでぼくらは、風力発電会社でアルバイトをしていました。


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