特集/ケーススタディ10

抽象的概念としての「ルーフ」から

 修論を書き終え、原広司研究室の研究生となった山本は、5回の集落調査のうち、第1回(72年)の地中海周辺、第2回(74年)の中南米、第4回(77年)のインド・中近東の旅に参加した。第1回ではアルジェの南方500㎞、砂の海に囲まれたムザップの谷にある街、ガルダイヤの光景を目撃して、「スターウォーズ」のような「まさにそこに人間じゃないものの世界があるようだった」(*5)と驚き、中南米では離散型集落に出会った。そしてカースト制に彩られるインドでは、ひとつの建築単位をどう呼んだらいいか悩んで、原に問うと、「ルーフと呼んだらいいんじゃないか」(*6)という答えが返ってきた。インドに行く前に設計した「山川山荘」では、釈然としないまま付けてしまった屋根だったが、そういう機能としての屋根ではなく、一度バラバラに離してしまった箱を再統合するための抽象的な概念として、「ルーフ」という切り札を彼はこの旅で会得した。
 こう書いてくると、彼の個性的な一連の住宅は集落調査の洗礼を受けた結果だと受けとられてしまいそうだが、実際はそれだけではない。学部、大学院を通して建築史の研究室に籍を置き、学園紛争を体験し、「現実に見えているものは必ずしも現実ではない」(*7)と実感した。「自分から状況を変えていけるという意識」(*8)が学生時代からすごく強かったという。
「従来の近代住居を図式にすると、玄関からリビングルームに入って、その奥に子供部屋や夫婦の寝室があるというひょうたん型になるんだけれど、実際に僕はどうかというと、外から直接個室に入れるほうがいいと思っているわけですね」(*9)
 山本の修論には、外からまず個室に入り、個室からリビングルームに行くという図式や、その考え方を体現した2階建ての住宅プランが描かれている。
 だから集落調査は、頭のなかだけで練り上げた彼の論理に具体的な肉体を与えたと推論するほうがより的確だと思う。そして一連の旅の途上で産み落とされた「山川山荘」は、ルーフを意識的な主題として孵化する「HAMLET」(88)へと続く、山本のエチュードである。

参考文献・出典
*1・2・4/『山本理顕/システムズ・ストラクチュアのディテール』ディテール別冊、彰国社、2001年6月刊
*3/『新建築』1978年8月号、新建築社
*5・6/『旅。建築の歩き方』彰国社、2006年
*7・8・9/『卒業設計で考えたこと。そしていま』彰国社、2005年


>> 「山川山荘」の平面図を見る

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