interview

ロジックの重要性を
再認識させてくれた海外での経験

塚本由晴

聞き手・まとめ/青野尚子
撮影/新建築社写真部(特記を除く)

  • [インタビュー]
    ロジックの重要性を再認識させてくれた海外での経験
    塚本由晴

 2012年「アンティパロス・リング」、今年「アンティパロス・ツリー・ハウス」とギリシャのアンティパロス島に2軒の別荘を完成させたアトリエ・ワン。彼らは2001年ごろから海外のアート・フェスティバルなどに参加し始め、その後、住宅やギャラリーなどを手がけるようになる。現在、多くの日本人建築家が海外で設計するようになったが、その代表格といえるアトリエ・ワンの塚本由晴氏に、海外での仕事が増えたきっかけや、日本と海外とのプロジェクトの進め方の違いについてお聞きした。

  • アンティパロス・リング(ギリシャ、アンティパロス、2012年)
    ギリシャのアンティパロス島西岸に建つ別荘。稜線を乱さないように丘を掘り出して建てられた雁行する建物の西側には、リビングやダイニングキッチンなどのパブリックなスペース、東側にはプライベートな寝室やゲストルームが配されている。各室、テラス、プールからは地中海を望む風景を楽しめる。

  • アンティパロス・リング(ギリシャ、アンティパロス、2012年)
    ギリシャのアンティパロス島西岸に建つ別荘。稜線を乱さないように丘を掘り出して建てられた雁行する建物の西側には、リビングやダイニングキッチンなどのパブリックなスペース、東側にはプライベートな寝室やゲストルームが配されている。各室、テラス、プールからは地中海を望む風景を楽しめる。

海外進出のきっかけはアート

 1995年は“インターネット元年”とも呼ばれ、同時に金融取引のグローバル化が始まります。それを受けて世界の各都市で外資を引きつけようと、さまざまな戦略がとられるようになりました。日本では小泉政権のもと、「都市再生特別措置法」と名づけられた民間主導による都市の再編が進みます。いずれもそこに住む人だけでなく、外から訪れる人のため、あるいは外部からの投資を呼び込むための戦略です。
 そのひとつとして、ヨーロッパや中国の開発が進んでいなかったエリアを中心に、トリエンナーレやビエンナーレなどの国際芸術祭を始めとするアート・フェスティバルが盛んに開かれるようになりました。アートによるブランディングを行おうというものです。その中には都市に対するアートの役割を探ろうというものもあり、私たちアトリエ・ワンを始めとする建築家が呼ばれる機会も増えました。2001年以降、主なものだけでも光州、上海、イスタンブール、サンパウロ、リバプール、釜山などで芸術祭や国際展に参加しています。
 それらビエンナーレなどの主催者やキュレーターが、数多くのアーティストや建築家の中でも私たちに興味を持ったのは2001年に出版した著書『ペット・アーキテクチャー・ガイドブック』(ワールドフォトプレス)や『メイド・イン・トーキョー』(鹿島出版会)がきっかけのようでした。英語版も出版したので理解しやすい、というのもあったようです。
 ちょうど私たちの世代が30〜40代になる1990年代は、東京で小さな家をつくろうというクライアントが増えた時期でもありました。第二次世界大戦後に急増した木造住宅が建て替えの時期を迎えたこと、また高級住宅地とされるエリアで世代交代が進み、敷地が分割されて売りに出される物件が増えたことなどがその背景にあります。これら都心回帰の動きとあわせて変形・狭小などそれまでは敬遠されていた敷地に建築家も関わるようになりました。都市の新陳代謝の一環として小さな住宅の波がやってきた。外国から見るとそれもまた、チャーミングなものに映ったのだと思います。

都市のリサーチを反映して設えをつくる

 私たちの「ペット・アーキテクチャー」は権力や資本の側に立った秩序だった建築とは対極にある、人びとによる小さな建築や空間実践を自分たちで見つけてきたものです。このコンセプトはアートの世界にいる人たちには「よくわかる」といってもらえたのですが、産業に組み込まれたものではないので、建築界の人びとには理解しにくいもののようでした。私たちが最初、建築の発注ではなく美術展に招待される形で海外から注目を集めたのはそのせいかもしれません。
 実際に展示会場でペット・アーキテクチャーをつくって欲しいという依頼もかなりありました。しかしペット・アーキテクチャーは経済的・社会的、その他さまざまな制約からやむにやまれずつくり出されたものであり、私たちはその切実さを好ましいと思って「ペット・アーキテクチャー」と名づけたわけなので、安易に真似することはできません。実際の展示では国際展に呼ばれた先の各都市でリサーチをし、そこから設えをつくることになりました。その結果としてペット・アーキテクチャーだけでなく、より多彩な展示物を制作することになりました。
 外国でのリサーチでは日本では見られない都市の様相や現地に住む人の行動を目の当たりにすることになります。私たちはそこでの人びとのふるまいを観察し、それをもとに物理的な設えを考える。人びとのふるまいは資源であり、それをどうマネジメントするのか、あるいは楽しむのか、分け合うのか、そういったところから設えが生まれます。逆に設えを変えるとふるまいが変わる。展示を通じて、そういったふるまいと設えの関係性を探ってきました。
 出展物も最初は予算が少なくてマイクロ・パブリック・スペースとでもいうべき小さな建築か、あるいは大きな家具状のものや動く構造体などを出品することが多かったのですが、認知されるようになってきたのか、次第に大がかりなものもつくれるようになってきました。2011年にオーストリアのリンツで制作した、建物の屋上を架設の通路でつなぐ「スーパー・ブランチ」はかなり大規模な作品です。通常は通ることのできない空中を歩くことで街の見え方を変えるプロジェクトでした。
「カナル・スイマーズ・クラブ」のように、仮設の構造物としてつくったものが会期後もしばらく使われるような事例も出ています。「カナル・スイマーズ・クラブ」はベルギーで2015年に行われたブルージュ・トリエンナーレの際につくったもの。水質汚染のため、40年にわたって遊泳禁止となっていた市内の運河が下水道の整備によって泳げるようになったので、仮設の桟橋をつくりました。この桟橋に「クラブ」と名づけることで、泳ぎを楽しむ人がたくさんいるようなフィクションが生まれます。実際に40年前に泳いでいた人たちは潜在的なクラブのメンバーなわけです。人びとは自分が泳ぐだけでなく、子供達に泳ぎを教えることで「クラブ」の“メンバー”を増やすことになりました。

  • カナル・スイマーズ・クラブ(ベルギー、ブルージュ、2015年)
    ブルージュ・トリエンナーレの一環でつくられた仮設水上建築。水質悪化のため40年間禁止されていた運河での遊泳が再開されたことを機に、市民のための居場所として設けられた。浮き桟橋で夏の間運河で泳いだりイベントスペースとしても使われる。
    撮影:Filip Dujardin

建築はフィクションと現実が入り交じったもの

 ハワイでつくった「カカアコ・アゴラ」(2014年)は既存の元倉庫の中2階に人びとが集まることができる構造物を設置するプロジェクトです。開発が進む地区でコミュニティのあり方を再考するようなものをつくりたいと考えました。「BMWグッゲンハイム・ラボ」は2011年にニューヨークから始まり、2年かけて世界3都市を巡回するパビリオンでした。それぞれの都市で無料でシンポジウムやワークショップを展開し、各都市が抱える課題への解決策を模索します。これらはいずれも人びとの新しいふるまいを誘発し、それによって町や都市を変えることを目指しています。
 こうした美術展のプロジェクトで面白いのはプロセスが自由で楽しいこと。建築には当然、目的や予算がありますが、美術展では何をつくるかはこちらで決めることができます。用途や目的もフィクションでつくることができるから面白い。そういうことを繰り返しているうちに、建築の用途も本当はフィクションだなと考えるようになりました。たとえば住宅でも家では家族がこんなことをしていて、といったことを考えてもその通りになるとは限らない。公共建築でもこんな使い方ができるように、と考えて設計しても人びとが予期しない動きをすることはよくあります。私たちの住居兼事務所である「ハウス&アトリエ・ワン」(2005年)も、オフィスと家の機能がどう交わるかはやってみないとわかりませんでした。みんなで実際に使っていくうちに想定していた用途と想定していなかった使い方とが入り交じって現実になっていく。建築よりもっと多くのファクターが関わる都市ではなおのことです。
 海外での美術展では日本に比べると、都市空間をより自由に使わせてくれる傾向はありますね。規制があって難しいような大胆な使い方を提案しても受け入れてくれます。また日本ではどうしても自分たちが生きている日常の延長として設計することになりますが、外国では当然、いろいろなことが日本とは違う。そのときに感じる違和感や驚きによって、普段日本で設計しているときとは違う感度が上がるのを感じます。

  • カカアコ・アゴラ(米国、ハワイ、2014年)
    ハワイ、オアフ島のカカアコ地区の港湾倉庫のワンユニットを開放し、屋内広場へと転換した施設。天井高約6.5mのがらんとした空間の1/3に2層の木造のロッジアを建て、さまざまな活動に使える立体的な場所を生み出した。
    撮影:アトリエ・ワン

海外での仕事は知人の紹介から

 こうした美術展を経て海外で実際の建築を依頼される機会も増えてきました。2009年に竣工したデンマークのスキーブというところにある「フォー・ボクシーズ・ギャラリー」は、もともと農村の若者により広い視野をということでつくられたホイスコーレというプレップスクールの施設です。このホイスコーレは特に芸術に力を入れていて、今ではデンマーク王立芸術アカデミーなどに入る学生が、絵画か、建築か、彫刻かといった進路を決める前に通うような有名校です。このプロジェクトはディレクターから学生の作品を展示できる施設を、との依頼でつくったものです。学校は17世紀の大農場の館を中心にした牧歌的な環境ですが、すぐ隣には工業的な港もあります。そこで私たちはコンクリートのサイロのような窓の少ない建物として、展示壁をできるだけ確保しながら、壁面を段状に後退させることでトップライトから採光し、また途中には映像などのプロジェクションに向いた、自然光を容易に遮断できる場所をつくりました。一番下のエントランスロビーは囲われた庭に連続する開放的な空間として多目的に、一番上の小さな部屋はアーティストインレジデンスとして使われます。
 パリの集合住宅「Logements Sociaux Rue Rebiere」(2012年)は既存の公営住宅を取り壊し、新しいビジネスセンターと住宅の複合施設をつくるプロジェクトの一部でした。敷地はパリをぐるりと取り囲む環状高速道路(ペリフェリック)沿いの内側です。壊した分の住戸はバティニョール墓地に接した通りを半分に割った細長い敷地に10数棟の集合住宅をつくって収容しつつ、ワークショップなどを通して新しい通りをつくろうという計画です。そのうちの2区画を私たちが設計しました。
 これらのプロジェクトを含め、設計の依頼はコンペなどではなく知人を通じて、というものが多いです。「フォー・ボクシーズ・ギャラリー」は、ホイスコーレにアートインレジデンスで滞在していた若いアーティストが来日したときに私たちの事務所に遊びにきて、学校に推薦したいので協力してほしいといわれました。パリの「Logements Sociaux Rue Rebiere」では友だちに薦められてポートフォリオを提出し、フランス語での面接を受けて選ばれました。アメリカでは「マウンテン・ハウス」(2008年)という住宅を設計しましたが、これはホンマタカシさんの紹介でした。

  • Logements Sociaux Rue Rebiere (フランス、パリ、2012年)
    低所得者用高層集合住宅の解体に伴い、同地域に新たに建設された集合住宅。墓地南側に通る幅24m長さ500mの道路の墓地側半分を敷地として18の区画に分割し、9組の建築家が2区画ずつ設計を担当した。アトリエ・ワンはそのうちの連続した2区画を敷地とし、3棟計20戸を設計した。

  • フォー・ボクシーズ・ギャラリー(デンマーク、スキーブ、2009年)
    デンマークの国民高等学校「クラベスホルム・ホイスコーレ」の市民やアーティストとの交流のための展示施設。4つの箱が入れ子状に重なった構成で、構造は仕上げから断熱材まで一体に成形したプレキャストコンクリートパネルによる壁式工法が採用された。
    撮影:Anders Sune Berg

人びとのふるまいが建築の資源

 海外から依頼されるもうひとつの理由は、私たちが見た目だけでなく実際にでき上がったときの存在感や、使ってみてストレスがないかを重視しているからかもしれません。東京での事例なら東京のリアリティをきちんと伝えている、それなら自分たちが住む場所でも敷地のリアルな条件を解読して最適な解を出すだろう、と思ってくれているのではないでしょうか。
 実際の設計の手順は日本でも海外でもあまり変わりはありません。確かに素材や技術、暮らし方には違いはありますが、その差異こそが面白い。美術展での出展物と同様に私たちの建築の後ろには民俗学的・文化人類学的への興味があって、そういったフィールドワークや調査研究が創作のもとになっています。設計の仕方は日本と海外では変わらなくても、フィールドワークによって得られる人びとのふるまいなどは地域によって違うので、異なるものが生まれるのです。
 人によってはこういった調査研究と創作は別という人もいますが、私たちはそうは思いません。社会の様相が変わると都市が変わり、建築のあり方も変わる。また物的な環境である都市や建築が変化することで社会が変わることもあるわけです。研究の仕方にもよりますが、私たちのこれまでの仕事でその三者が連関していることを示せたように思います。特に都市部の建築やパブリックスペースの仕事では、人びとのふるまいを“資源”と捉え、それを束ねることで喜びを生み出すような建築を目指しています。地元の人たちと対話を重ね、ともにプランを検討するようなやり方です。まず概念として用途、機能があって、それを空間化していくのとは違う方法論です。
 私たちは始めにペット・アーキテクチャーのリサーチや狭小住宅で外国から注目されましたが、今国内外でつくっているものは単に小さな建築にとどまらないものです。また社会背景も変化しているので、建築のあり方も変わっています。たとえばメタボリズム的なコンセプトの建築でも、1960年代のものと今つくられているものとでは違うものになるわけです。さらに90年当時に比べるとグローバリゼーションが進み、国内でのプロジェクトの情報も海外から容易にアクセスできるようになってきました。その際に重視されるのはやはりロジックです。国内・国外のどちらで仕事をするにしても、ロジックがあるかどうかが重要になる。大量の画像情報が流れ、スタイルが消費されていく中で、くり返し立ち返って建築について、自分たちが生きる環境について考えることが大事です。建築は身近なところや暮らしから自分たちが今どこにいて何をしているのかを考え、行動に移すことができる、人びとにとってたいへん重要な手段だと思っています。

Profile
  • 塚本由晴

    Tsukamoto Yoshiharu

    1965年神奈川県生まれ。 1987年東京工業大学工学部建築学科卒業。 1987~88年パリ・ベルビル建築大学。1992年貝島桃代とアトリエ・ワン共同設立。1994年東京工業大学大学院博士課程修了。現在、東京工業大学大学院教授。

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