interview

予算ゼロからの、まちづくり人生

エリア・イノベーション・アライアンス代表理事
木下 斉

聞き手・まとめ/伏見 唯
撮影/山内秀鬼

  • [インタビュー]
    予算ゼロからの、まちづくり人生
    エリア・イノベーション・アライアンス代表理事
    木下 斉

まちづくりのために、今、建築家に何ができるのか。
建築デザインには収まらない、持続性や経済性を兼ね備えた建築への思考が、まちを活性化することがある。
北海道から沖縄まで全国約40カ所の、まちづくりにかかわってきた事業家の木下斉さん。
高校生のときから地域での活動を始めた木下さんは、現在35歳の若さにしてまちづくりのプロフェッショナルである。
一貫している戦略は、「まちを経営する」という視点。

予算がなくとも企画で稼ぐ

木下さんは、まちづくりを企業のような「経営」という視点でとらえて、地域再生に取り組んでいます。そうした視点は、これまでの20年近い経験から得られたものだと思いますが、なんと高校生の頃から地域の活性化に携わっていますね。

木下 斉高校1年生のときに、早稲田商店会の活動に参加したのが、きっかけです。そこでは、まだ自治体が資源ゴミ回収をほとんどやっていない頃に、環境を切り口とした商店街の活性化を行っていました。空き店舗を借りて、商店街のクーポン発券機能付きの空き缶・ペットボトル回収機やゴミ処理機を自主的に設置したりしていたんです。これからは環境の時代という風潮もありましたが、民間事業として環境をテコにした商店街活性化に取り組んでいたのは早稲田だけだったんですね。

自治体ではなく、商店街が自ら活性化に取り組んだのですね。

木下地域活性化というと、国や自治体からの助成金で活動するところも多いのですが、早稲田ではクーポン発券機能を生かして各店舗に送客する代わりに、加盟店が販促費を支払う民間事業として取り組んでいました。大きな商店街になるとアーケードや街路灯などの設置やメンテナンスをし、年間予算数千万、数億円というところもありますが、早稲田商店会は貧乏だったので、年間予算が60万円ほどしかありませんでした。一定の予算を使って何かをやる、という議論はまず成立しない。そのため、何をやるにしても、どうやったらお金が入ってきて、そのお金でどうやって企画を支えるかということを、一つひとつ実践するのが基本でした。

具体的には、どのように資金を得たのでしょうか。

木下たとえば、年に一度エコサマーフェスティバルというイベントを開催していました。当時、全国各地の環境系ベンチャーは新製品をつくったものの、導入実績がないために営業に苦心していました。そのため、早稲田のまちを使って機材の導入実績をつくれるという触れ込みで、ブース出店料を支払ってもらったわけです。
 イベントのスローガンは「まちなかのゴミを持ってきてください」です。「ゴミは持ち帰ろう」というのが普通のイベントですが、その対極をいったわけですね。
 当日は住民の方々が多く集まり、マスコミも殺到、商店街の各店舗は出店を出して儲けました。企画で稼ぎ、店も稼ぎ、出店者も稼げる。そのキーワードが「環境」ということだったのです。こういう環境と経済を両立する、民間自立の取り組みだからこそ、新宿区、東京都、通産省(当時)、国連大学、早稲田大学などが協力していました。
 予算はゼロでも企画で稼ぎ、まわりの人たちがみんな、得をする。楽しいことと得することが大切だと学びました。

全国40ほどの商店街とつながる

その後、まだ高校生のときに、木下さんは地域活性化を担う会社の社長になっています。

木下早稲田商店会には職員はいません。僕が若くてパソコンが使えるということで、事務局の手伝いをしていました。イベントや視察を通じて知り合い、そのなかでも際立ったリーダーシップをもっている商店街や自治体、政府、民間企業関係者が参加しているメーリングリストの管理、全国の視察者のデータベースの作成などをしていました。1999年6月、そのメンバーが「実際にみんなで集まりたい」という話が出まして、オフ会を開催することに。さすがにオフ会では体裁が整わないということで「全国リサイクル商店街サミット」という大層な名前をつけて開催しました。
 そのときに、高齢化や空き店舗などの全国の商店街が抱えている問題は共通しているので、みんなで会社をつくって取り組もうという話になったわけです。ただ、口は達者だけど、本業があるとか忙しいといって、実務をやる人がいない。さらに、新しいことは新しい奴がやったほうがいいということで私に社長をやらないかという話に発展し、高校3年の時に会社を設立し、社長をやることになりました(笑)。

どういう会社だったのでしょうか。

木下株式会社商店街ネットワークという名前で、全国の商店街や個人が、合計1245万円を出資して設立された共同出資会社です。北は小樽、南は熊本まで、全国40ほどの商店街の方々がメンバーでした。
 事業を通じて商店街に新たな利益をつくり出し、その一部を受け取るのがこの会社の基本理念でした。しかし実際に事業に着手すると、まもなく現実の壁にぶつかりました。そもそも衰退している商店街は内部にも多数の問題を抱えていて、その解決なくして都合よく「儲かるうまい話」なんて存在しないわけです。

問題を抱えたところからのスタートになるということですね。

木下はい。最初は、北海道の商店街の商品を四国で販売するなど、商店街のネットワークを利用して地域を超えて商材のやりとりができたら、地元にはない珍しいものが店頭に並ぶので売れるのではないか、などと考えていました。実際にやってみると、まったく売れない。
 なぜかというと、衰退している店舗はそもそも営業力不足だったのです。ただ商店街の方々は「商品が悪いから」とか「景気が悪いから」とかそういう話ばかりをしていましたが、実際にはそもそも顧客を設定して営業するという単純なことがまったくできなかったのです。客もいなくて営業もできなければ、どんな珍しいものを置いても売れないのは、この時代には当たり前だったのです。
 何事も事業として実践してわかることがあります。商店街サミットに集まった関係者の意見だけでは、問題解決は無理だったわけです。このときに、みんなに意見を聞いて事業を考えるのではなく、自分でまずは考え、組む相手も選ばなくてはダメだと痛感しました。

商店街の壁で広告収入

では、会社の事業はうまくいかなかったのでしょうか。

木下そうですね。それで会社をつくってから3年目には、事業をすべて刷新しました。僕らと付き合いのある商店街では、各店舗が儲かっているかどうかは別にして、それなりに人通りのあるところが、まだたくさんあったのです。その人通りのある土地とのネットワークをもっていることが、僕らのアドバンテージだと考え、広告代理店と組んで、企業広告や新商品販促などを商店街にもってくることを思いつきました。「ストリート広告」と名付けましたが、その後全国に広がって、今も取り組まれています。

元手も少なくてすみますね。

木下商店街の壁面などに映画や携帯電話の広告を受け入れれば、それぞれの商店街で年間数百万〜一千万円くらいの収入は見込めました。それは商店街にとって外から得られる新しい利益で、われわれも堂々と手数料をとることができます。同時に、それらの収入を生かして、まちの清掃の改善やテナントの誘致など、今後の成長に向けた投資資金にもなるわけです。
 札幌市、仙台市、新宿区などで実施したところ、成功して、会社は単年度黒字になりました。

会社は軌道にのったのですか。

木下規制緩和を経産省や国交省とも推進し、各地での動きも見えはじめました。ただ、肝心の会社の株主であった商店街が賛否両論だったのです。自分の店の売り上げが立たないとか、企業広告が嫌だとか、当初の事業と違うとか、どうにか道筋ができた成長事業の緒だっただけに、若さがゆえに私は頭にきて大げんかをして、社長を辞すことにしました。

新しいことをしようとすると、抵抗もあるものなのですね。

木下今までの商売の仕方を変えたがらない人は多かったと思います。ただ僕としては、地域の活性化のために、空間をおもしろく使う、ということを意識するきっかけになりました。たとえば映画のプレミアムイベントを商店街路上で開催した際には、空間的な魅力を効果的に使え、各店舗の客数も増加したわけです。空間の活用と店舗の販促はばらばらではなく、確実に連動します。ここ数年は、名古屋の駅前再開発で工事用仮囲いに広告を出す事業に官民で取り組み、今は市が制度化しました。工事中は寂しい印象のまちに、おもしろさと稼ぎを生んでいます。

ゴミ処理の一括化により差額を

空間の使い方と同じように、建築も地域活性化にかかわっていますよね。

木下全国の商店街、繁華街をみると、昔からの商業者で有能な方の多くは不動産収入が主力となっています。いい時代に儲け、余剰資金や与信力を生かしてマンションやビルの開発といった不動産投資をされているんですね。
 株式会社商店街ネットワークを辞めた後も、そのときの縁などがきっかけで、ずっと地域の活性化に携わりつづけてきましたが、熊本市では不動産オーナーを中心にしたエリアマネジメントの会社(熊本城東マネジメント株式会社)を設立し、10年になります。その頃から、不動産を通して、まちの事業のあり方を考えるようになりました。

不動産の集合がまちになる。

木下はい。海外では個々のビルでできること以上に価値を上げるため、不動産オーナーが資金を出しあい、資産運用としてまちづくりに取り組みます。家賃や資産価値が上がり、直接的に得するのは彼らだから、合理的な行動です。
 たとえば、熊本市中心部では各店舗・各ビルがばらばらだったごみ処理契約を一本化。初年度は年170万円、2年目からは年450万円削減でき、その削減分から各商店街の販促、路面清掃、空きビルのリノベーションなどに投資しています。

まちづくりというと、自治体の政策もイメージしますが、個別の不動産をベースに考えられているのですね。

木下もちろん、個別事業だけでなく政策の転換はあったほうがよいと思います。日本も昔は人口がどんどん増えていたので、増加を前提に、基本的にはいろいろなものを「増やす」ことを考えてきました。ただこれからは人口が急激に減っていきますから、「減らす」ことを真剣に議論しなくてはいけません。ではどう減らしていくのか、という全体の政治的な指針がほぼ示されていません。日本は明治以降、人口増を背景に必要な知識を海外から導入しましたが、減少に対応する経済、財政のあり方は学んでこなかった背景があります。
 全体政策の転換が期待できないのであれば、各地の小さなエリアで現実的なアイデアを出しつづけるしかないと思います。公共資産に対する規制緩和など、国単位だと進めるのが難しいことでも、限られたスポットでは議論がしやすいことはたくさんあります。また個人資産を守るために、建築や商店街の魅力をどうするかという話は、関係者全員が理解しやすい課題設定だと思います。

建築家にも経営力が必要

そういった小さいエリアのマネジメントのなかで、建築の設計には何が求められるでしょうか。

木下建築の専門誌で言うべきではないかもしれませんが、不動産オーナーにとっては、更地を貸して、何もつくらないでお金が入ってくるのが一番です。ただ、そんなことは非現実的なので、やはり上物をどうするかということになり、更地より大きく収益を生む建築に投資をしていく必要があります。つまり、建築や空間をつくるのも投資だという理解で、建設費とともにオーナーやまちの経営面での数字をみて、数字を踏まえた提案ができる建築家が必要だと思っています。
 そのためには、企画から設計、施工、できれば運営に至るまでかかわることが必要なのではないかと思います。仕様がはっきり決まっていて、それを実現する流れでしたら分業もしやすいのだと思いますが、僕らがやっているエリアの再生では、オーナー5人が参加する予定だった企画で、突然ひとり参加しなくなったりして、スペックや仕様が変わったりしますから、手戻りが多いんです。その手戻りを管理できないと、現実との乖離が出てくるし、銀行の融資や投資も得られず、頓挫します。
 現実とミスマッチしないように、空間の変更と数字の変更を同時進行することが、縮小時代の小さなエリア再生には求められると思います。

経営の発想が、建築家にも必要ということでしょうか。

木下そこまでできる設計者はまだ多くないので、今後はそのニーズがどんどん高くなっていくと思います。
 愛知県春日井市で、建築家や工務店も一緒に出資している会社のプロジェクトがあります。投資意欲の高い高齢者が多い商店街なのですが、各店舗の人にアンケートをしたところ、10年後には店をやっていないという回答が8割でした。そのため、まずは「TANEYA」という既存店舗のリノベーションは1年半の投資回収でスタートし、さらに「ままま勝川」という新しい地域商業施設をつくる際には上物11年の投資回収に設定しました。投資回収が終わった頃には、店舗の入れ替えなども進み、周囲の土地をみて集約開発をあらためて考えようと話しました。これは、建築家や工務店と一緒に活動しているからできることです。

建築家や工務店が出資するメリットは、どこにあるのでしょうか。

木下新しい仕事を呼び込むための投資と、逆算開発などの縮小時代の開発方法の学習のふたつがあります。不動産オーナーたちとともに、一定のリスク領域に自分たちも入り、逆に開発後の成果にもとづいて配当が期待でき、使い方から開発を適正化するインセンティブがあります。知見を生かして新しい仕事を自らつくり出すこともできると思います。

建築家の役割が、広がっていきますね。

木下仕事の中身を戦略的にギアチェンジすることが、求められているのではないでしょうか。分野は違いますが、僕の場合、最初は空き缶やペットボトルのリサイクルから始めて、広告のこと、不動産のこと、そしてゴミ回収、リノベーション、スクール事業などと、地域活性化という目標は一緒なのに、やることはどんどん変わってきています。
 建築も、接している領域を見てみれば、展開できることがたくさんあるのではないでしょうか。縮小していく社会では、分業よりも統合化の流れが必要です。最近は、僕のまわりでも、ビジネスの範囲のみの設計ではなく、その周辺まで含めることで特徴を出そうとしている建築家が増えています。今まで建築家が取り組むべきと思っていた範囲が本当に正しいのか。そこを見直すことができれば、建築家のチャンスは、もっと広がっていくと感じています。

稼げればよいわけではない

経営的な視点をもった建築家が、いわば「稼げる建築」をつくれるということが、まちの活性化にとって理想なのでしょうか。

木下商業建築の場合、やはり稼げることは欠かせません。ただ稼げていれば何をやってもよいかというと、そうではないと思います。そのまちの今後、10年あるいは20年先の方向性を示した建築であってほしいです。
 たとえばナショナルチェーンを誘致すれば稼げるかもしれませんが、まちの商業建築のあり方として、僕はあまり賛同しません。それはまちがこれまでつくってきた資産のうえに、全国展開しているモデルをもってくることによって成功を得ているだけで、まちの価値を上げているとは思えないからです。安易な答えで稼ぐのではなく、当初は四苦八苦しながらもまちの価値を上げる模索をすることが大切だと思っています。
 大きくなくても、小さな一軒のレストランがまち全体を変える、ということはよくある話です。それは必ずしも建築だけではなく、運営の中身が魅力的なのかもしれませんが、ソフト面とハード面の相互作用によって建築の価値が最大化され、まちの方向性が示されていくものが大切だと思います。
 際立ったデザインでも、最初は違和感があっても、その意味をもっていれば10年くらいするとなじんできて、まち全体に欠かせない存在になるもの。ひとつの建築物だけが評価されるのではなくて、まち全体をよくしているもの。そういうものを意識し、新たな需要を生み出しつつ、全体の容積は増やさなければ、エリアの価値は、しっかりと上がっていきます。

Profile
  • 木下 斉

    Kinoshita Hitoshi

    エリア・イノベーション・アライアンス 代表理事

購読のご案内はこちら