特集1/インタビュー

塀の設計

——アルバイトのがんばりが、お金だけでなく、建築家としてのキャリアのスタートにも結びついたのですね。建築雑誌にのるのは「ウチミチニワマチ」(09)という塀が最初ですか。

増田 そうです、『新建築 住宅特集』(新建築社、2009年11月号)にのりました。出身の武蔵野美術大学の高橋晶子先生と編集者の方との校外ゼミに参加し、後日見にきていただけました。「塀だけか」という反応でしたが、気に入ってくださいました。

——なぜ塀を設計することになったのでしょうか。

増田「ウチミチニワマチ」は、ぼくの実家の塀なんです。駆け出しですから、両親に何か設計の仕事はないか、と聞いたところ、家を建て替える必要はないけれど、塀は直したい、ということでした。もともとブロック塀と鉄扉があったのですが、鉄の錆びはひどくなっていて、北側なので湿気もたまるようなつくりでしたから、確かに建て替えたほうがよさそうでした。しかし、当然「塀だけか」とは思いました(笑)。
大坪 それまでの風力発電会社の仕事は3人だったのですが、ひとり就職したので、このときからふたりで設計をしはじめました。「ウチミチニワマチ」では、とくに増田は大変でした。設計者だけど半分施主でしたから(笑)。

——「ウチミチニワマチ」では、どのようなことを考えて設計をしたのでしょう。

増田 実際につくったのは塀だけなのですが、家族に話を聞いてみると、部屋の風通しをよくしたいとか、前の道が狭すぎるとか、いくつか住宅全体や町にかかわる与件もありました。よく考えたら、町を変えたいのだったら、住宅1棟を設計しなくても、町と接している塀を設計したほうが早いのではないか、とも思いました。無理に「建築」の枠のなかでではなく、通りすぎているけれどもじつはそこが真意であり、設計すべき対象ではないか、と思ったのです。ぼくらは、住宅からパブリックや都市を論じるのには、どうしても違和感がありました。今から考えると、大学院への進学を躊躇したのも、そのあたりからきているのかもしれません。もっとふつうに人が通りすぎるところを設計したいのです。そういう目線で見ると、そういった普通のもの、たとえば塀はあまり設計されてこなかったと思いますから、そこを突き詰めたほうがよいのではないかと考えました。ほとんど窓だけを設計した「躯体の窓」も結果的に同じ理屈です。


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