浦一也の「旅のバスルーム」

第95回

イリュリア・ハウス

南アフリカ・プレトリア 

南の国のシェイクスピア

文・スケッチ/浦一也

 プレトリアは、南アフリカの行政上の首都である。
 このホテルは高級ホテルというより植民地時代の豪壮な個人邸宅を改装したコロニアルな建物。そこに夜遅く到着した。
 イリュリアとは、古代ギリシャ・ローマ時代にバルカン半島西岸にあった王国の名。シェイクスピアの「十二夜」(*1)にも出てくる。この建物は、その名を冠して1940年につくられた。インターネットでホテルの写真を見て決めただけなのだが、どうも怪しい。何かある。
 エントランスロビーもフロントオフィスもないような薄暗い空間。おばあさんと、執事役のような黒人のおじいさんのふたりが、にこやかに出迎えてくれる。「ドライビング・ミス・デイジー」(*2)というアメリカ映画があったが、あれを彷彿とさせる。オーナーらしきそのおばあさんは「あらやだ、Wi-Fiのパスワード、わかんなくなっちゃったわ。誰かー」という調子なのだ。おじいさんは、ロゴ入りのレターペーパーがないと言うとパソコンで10分もかけ、笑顔でレターヘッド入りの紙をつくってくれる。
 私たちの部屋は「エリザベス・スイート」という。部屋の趣味はまったくラブリー。真っ白に塗られた家具類、気恥ずかしくなるようなバスルーム、大きなクロゼットとキッチン、ピンクのベネチアンガラスのシャンデリアというスイート。
 到着は夜だったのでわからなかったが、翌朝ホテルのなかを探検して驚いた。
 装飾性あふれる豪華なダイニング・ルーム。古い床フロアのロビーには膨大なグラス類のコレクション。高さ6mもある外部に開放された真っ白なポルチコ(*3)空間には、ゆったりとドレープ・カーテンが下がる。白いガチョウの親子がたくさん寝ている芝生が優雅な曲線を描いた斜面に広がり、その先にはスイミングプール。さらに奥にはアジアン・テイストの大きなラウンジが別棟となっていて、まるでタイにでもいるようなたたずまい。スパは本格的らしい。
 昨夜、夕食を外ですませてきたわれわれに「ディナーはどうか?」と何度もたずねてきたのだが、それがやっとわかった。ポルチコでいただいた朝食の卵料理がすばらしかったのだ。残念なことをした。
 しかしイギリス人が支配していた頃のとんでもない貧富の差を見せつけられたようで、かなり複雑な気分になる。でも今は「逆差別」があると聞く。白人だけで都市郊外に住んでいるとか……。難しいものだ。
 最後にもうひとつサプライズがあった。
 チェックアウトして車の前で「おいとま」をしているときのことだ。黒人の従業員全員が玄関先に集まり、にぎやかにアフリカの歌を歌ってくれたのだ。意味がわからないのでたずねてみると門出を祝う歌らしい。歌で送り出されたことは初めて!
 おかげでその日は朝から楽しい一日になったのである。


*1/十二夜(じゅうにや):イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピア作の喜劇。副題は「御意のままに」。国の名はイリリアとなっている。
*2/Driving Miss Daisy:1989年制作のアメリカ映画。ブルース・ベレスフォード監督。アメリカ南部を舞台に、老齢のユダヤ系未亡人とアフリカ系運転手の交流をユーモラスに描いた。アカデミー賞の作品賞、主演女優賞、脚色賞、メイクアップ賞の4部門で受賞。
*3/Portico:柱列のあるポーチ。

>> 「イリュリア・ハウス」のスケッチを見る

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