ケーススタディ2

木を面として
構成する

作品/木のカタマリの家
設計/網野禎昭

「木のカタマリの家」の内部は、壁も天井も、すべて軀体であるスギの平角材に囲われている。デッドストックの木材を利用した構法でつくられており、環境配慮などの社会的意義に納得するとともに、節や皮付きの木材の荒々しい表情に驚く。

取材・文/大井隆弘
写真/傍島利浩

柱ばかり
梁ばかりの家

「木のカタマリの家」は、木造構法を専門とする法政大学の網野禎昭さんが、仕事を引退した両親のために設計した住宅である。富士宮駅から富士山に向かって4㎞ほど上った住宅地に、河川沿いに茂る緑を背負って立っている。おもな壁や床は、大断面の木材を連結してつくられており、まるで柱ばかり、梁ばかりの家である。
 そのためか、「木のカタマリの家」を見るとすぐに吉田五十八の「柱ばかりの家」という文章が思い出された。吉田は、まだ真壁(柱相互のあいだに収まるようにつくった壁)の住宅が大半を占めていた昭和初期に、大壁(柱を覆うようにつくった壁)の手法を用いた作風で名をあげた建築家である。そして、「柱ばかりの家」では、次のような主張が展開された。
 大工は建前のときに建築費の大部分をもらうのが慣習だったので、建前までの姿を立派に見せようと、完成後に見えない部分にも良材を使った。ところが、良材を使うとできるだけ完成後も見せたくなるもので、結果として真壁が多くなり、筋かいも入らず構造が弱くなる。それはおかしな話だから、大壁を採用して構造を強固にしよう、見えない柱は安価にとらえて別の場所に費用をまわそう。
 ここで吉田は、真壁を「柱ばかりの家」として否定的にとらえ、大壁の採用を訴えたのだった。この話は、大壁の住宅が一般的となった今日でも吟味する価値があるのではないか。見えない所に使う材料は、性能さえ満たせば見た目の良し悪し、つまり節の多さや割れの有無については問題にならないはずである。皆がそう考えれば、木材は適材適所に利用される。大壁の住宅であればなおさらである。しかし、私たち消費者の選り好みや施主への説明の煩雑さなどから、見た目の悪い木材は売れ残り、ややもすれば破棄されるのが現状である。それは、ホームセンターの資材館などに行くとよくわかる。


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