すぐ思い出したのは、今井兼次の名作「日本二十六聖人記念聖堂」(62)の塔のことだった。塔の胴の位置の打放しが妙な折れ方の連続面になっているから、当時、現場を担当した池原義郎先生にうかがうと、「偶然の変化がほしかったから、現場にあったトタン板を型枠代わりにして打った」。
 ビニールシートを使ってまでコンクリートの表現を深追いしながら、ハツッたり、小叩きしたりしないのは見上げたもの。打放し命。
 ビニールシート型枠は、トタン型枠以上に誰もまねしないが、しかし、現場のコンクリートに腰まで浸かりながらやってきた証しにちがいない。
 ここまではよかったが、思わぬものが打放しに取り付いているではないか。いずれも地中から出てきたらしいが、大谷石を開口部の上のプランターに使ったり、玉石を壁や天井のそこここに埋めたりしている。そのうち、ガラスビンを埋めたりしかねない。
 これはやってはいけない。シロートの建築好きや、フンデルト・ワッサーに通じてしまう。ワッサーではなく、「ワッツタワー」(21〜54)のサイモン・ロディアになってほしい。ロディアは、建築の知識はないが、しかし、全体の確たるイメージと鉱山技師としての技術感覚のふたつがあったから、思いつきとゆがんだ自意識のふたつに毒されずにあれだけの名作を生むことができた。
 玉石はともかく、大谷石はなんとかしてほしい。そうしないと、打放しでものした奔放な装飾的造形が、ただの思いつきに見えてしまう。
 危惧を覚え、あらためて地下から上階までを上がったり下がったりした。そして、打放しコンクリートにしては、おまけに所構わずアチコチ奔放に凸凹し、突き出したり穴のあいたりするコンクリート構造物にしては、その造形は目に突き刺さらないし、足取りも体もスムーズに運ぶ。肌への親和感すら覚える。
 身体性、そう、体にヒタッと寄り添うような、やわらかさとあたたかみのあるコンクリートの空間になりおおせている。コンクリートに腰まで浸かるうちに、いつしか身中に滲み入り、の五体を通ってまた外に出てきて生まれた空間にちがいない。蚕が絹を吐いて繭をつくるように、はコンクリートを吐いて自分の家をつくっている。コンクリートでできた自分の巣にちがいない。正確に言うと、首を長くして延々と待ちつづけている夫人との巣。
 レーモンド→(戦後初期の)丹下健三→安藤忠雄、と日本の打放しはバトンをつなぎ、ついに巣に行きついた、ということになるのかどうか。
 後半分つくって完成するそうだが、その日が楽しみのようなコワいような。
 の畏敬する石山修武が私のデビュー作について書いた次の言葉を私も書ける日が早く来ることを願う。
「末永く語りつづけられる建築である」


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