バスタブは湯を張ったベッド アマンガッラホテル ホームページ へ

 コロニアルという言葉はローマ帝国がドイツのケルン(Cologne)を植民地にしたことに由来するが、およそ「いいホテル」と目されている伝統的なホテルは、植民地という、地元にはつらい時代につくられたホテルに多い。きっとサービスの真髄を心得ることになったのだろう。とくにオリエンタルといわれる東方のものは、植民地として支配された国でなくても19世紀から20世紀初頭につくられたものがそうである。
 スリランカ・キャンディにあるクイーンズ・ホテル(1849)、カルカッタのグレート・イースタン(1850)、シンガポールのラッフルズ(1887)、グッドウッド・パーク(1906)、イスタンブールのペラ・パレス(1892)、香港のペニンシュラ(1928)、ホーチミンのマジェスティック(39)等々、たくさん。
 このホテルはインド洋上の島国、スリランカの街・ゴールのフォート(砦)の中にあって、1684年、支配していたオランダが軍の総司令部として建設したというから、かなり古い。徳川5代将軍綱吉の頃だ。この国はポルトガル、オランダ、イギリスから400年以上も支配を受けつづけ、1972年にイギリス連邦自治領セイロンから独立して現在の国名に変えた。城砦の中の旧市街はよく遺っていて世界遺産。
 1865年、「ニュー・オリエンタル・ホテル」として開業、最近、28室のとなった。白い3階建て。ずいぶん手を入れられているようだが、エントランス左右のオープンなベランダやダイニングルームなどは家具もアンティークを集め、往時の面影を彷彿とさせる。
 熱く乾いた空気を天井のファンがけだるくまわって微風に変え、甘い香水や花、ココナッツ、カリーパウダーの香りが混じる。スチュワードはサローン(*1)を腰にまとい、裸足やサンダル姿。いつの間にか200年くらいタイムスリップしたような錯覚を覚える。時折、前面のチャーチ・ストリートを白い制服の女学生が騒ぎながら行き交い、オート三輪がけたたましい音を上げて行きすぎて、現代に引き戻される。
 後方にあるガーデンはすっかりコンテンポラリー・デザインで、デザイナーはケリー・ヒル(*2)。それほど広くないスイミング・プールに大きな樹木が緑陰を落とし、プールサイドのセパレートされたセルでは昼寝を楽しむことができる。私は、妻たちがアーユルヴェーダ(*3)に出かけているあいだに、ちょっと泳いでから水彩パレットを取り出したが。
 前面道路に面する2階の、天井高5mを超える宿泊室は、長さも約13mあり、じつに長い。レーザー距離計は必携。床にはレベル差もある。カーテンはなくて室内に折り戸。大きな窓は縦軸回転。ベッドに並んでバスタブがオープンに置かれ、バスルームはない! シャワー室にもドアがないから、新婚向きというかカップル向きというか……老人向きとは言いがたい。バトラーが部屋をつぶさに説明し、ロウソクを灯す「儀式」を行って、いつでもなんでもお申しつけくださいとメモを残していく。
 実測にいつもより時間がかかった。さて、冷たい飲み物でもいただいて、東インド会社の残像を探して散歩するとしようか。
 アーユボワン(こんにちは)と言いながら……。

*1
/サローン:巻きスカート
*2
/Kerry Hill(1943~):オーストラリア生まれの建築家。その活動はアジアのアマン系ホテルを中心に広域におよぶ。
*3
/Ayurveda:インド大陸発祥の医学。アーユス(生気生命)とヴェーダ(知識学)の複合語。頭部の浄化、オイルマッサージなどを含む。
ホテル竣工年出典:"GREAT ORIENTAL HOTELS"

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