コンクリートの壁のあいだをすり抜けて主室に出る。なんだこの空間は。こんな住宅っぽくない空間は、パラディオの名作「ヴィラ・ロトンダ」(1560年頃着工)以来だ。ロトンダは、外観のプロポーションに合わせるためか室内が犠牲にされ、見上げると首の痛くなるような内部空間になっている。細長い平面の上にコンクリートの壁が立ち上がり、部屋に窓はなく、光はてっぺんから降りてくる。おまけに、天井はボールト天井。プレ・ロマネスクの内部を打放しでつくればこうなるだろう。
 いったいどうしてこんな日本離れしたことを。東孝光の「塔状住居(塔の家)」(1967)を発火点として、若い世代が打放し住宅に取り組み、一時代を画すが、それらの無理矢理ぶりのなかでもこんなのは見たことがない。
 少し前に急逝された夫人の遺影に線香を手向けた後、主室は冷えるので、奥のサンルームで設計の事情を本人にうかがった。
 遠藤さんは、28歳で独立して事務所を開くが、その直前、1969年、半年間、車でヨーロッパ建築巡礼に出かけた。絵が好きで、画家に転ずるか建築を続けるか迷いながらの巡礼で、スケッチブックをひたすら埋めていく。青年ル・コルビュジエも、絵と建築に迷いながらの地中海建築巡礼だった。スケッチをひたすら重ねるなかで、ヨーロッパの石の建築と都市の感覚に心身をひたしていく。
 ル・コルビュジエと同じように、遠藤さんは建築の道に進む気持ちを固めて巡礼を終え、帰国後すぐ設計にとりかかったのが自邸だった。
 テーマはひとつ。「ヨーロッパの空間の空気を実現しよう」。
 たとえば、家の中にベニスやトレドで歩いた路地をつくりたい。路地を歩いて見上げると、石と煉瓦の壁と壁の狭いあいだから注ぐ光のすばらしさを再現するにはどうすればいいか。ほかに仕事もなく、計画案だけでも2年間に100案もつくった。
 建築家のこの話に建築史家は時代の変遷を思った。大正から昭和のはじめにかけてヨーロッパ建築巡礼に出かけた堀口捨己青年と吉田五十八青年は、パルテノンを訪れて絶望感に襲われる。"こんなものをつくってきたヨーロッパの伝統にはとても太刀打ちできない、日本独自の道を探ろう"と。そして、堀口は茶室へ、吉田は数寄屋に活路を見出していった。

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