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 ピーター・ズントー(*1)の作品をまとめて見る機会があった。
 2007年竣工の「野のチャペル」。ドイツ・アイフェル地方のヴァーヒェンドルフにある。
 雪が残る朝、野原の小高い丘を目指して歩いた。凍てつく地面を踏む音と自分の呼吸だけが聞こえる。
 隠修士ブルーダー・クラウスのチャペルを自分たちの野原にも、とばかり、地主夫婦がズントーに設計を依頼して自分たちでつくってしまったという。112本の丸太を立て、そのまわりに24回、版築(*2)のようなコンクリートを自分たちで打ち、内部で3週間火を焚いてから丸太を外した。
 工事に2年を費やしたという高さ12mの壁がモノリスのようにそこにある。1軸の鋼製三角扉を入り、鉛を流した床を歩く。暗くせまい。ブロンズの頭部彫刻がかろうじて見える。壁のたくさんの穴を埋めた吹きガラスや黒いがさがさの壁を触り、眼の形をした天空を見上げる。数日前は雪が天空から舞って床に積もったそうで、それは美しかっただろうと思う。
 不覚にも涙が出そうだ。
 ここには何もなく寒いが、温かく、立ち去り難い。奇もてらいもなく、心だけがつくらせた天然物のような人工物。この地球上にこんなものがあるとは。
 感動も覚めやらぬその2日後、転落しそうな雪の山道を駆け上がり、あの温泉保養施設(*3)に入った。かろうじてブルーモーメント(*4)の時間に間に合い、雪山がシルエットになるまで少しぬるいお湯の中にいた。
 穴があくほど何度も見た図面を確かめるように歩きまわる。積み重ねた石の色、水中照明の静かな光、滑らない床、低い水音、湿った空気……。
 身体を拭いてホテルの部屋に戻る。いわゆるズントールーム、改装です。
 白と黒だけのシンプルなもの。塗床にカーペットが一部敷いてある。ベッドサイドのランプが壁を照らす。天井は最上階のせいか窓側が少し高い。雪が積もってバルコニーは使えなかったが、いい季節には外に出たくなるだろう。備え付けのCDを選び、ガウンのままでゆっくり。ワードローブはなくハンガーをかけるパイプのみ。ソファとテーブルはアイリーン・グレイ(*5)のデザイン。ライティングデスクは華奢すぎる。
 音楽を聴いていると時間が消える。
 テルメ(温泉)があるからバスタブはあまり使われないだろう。洗面棚は小さすぎる。自分のスパ化粧品やツールを持ってくる人が多いから。
 そうだ、あのスパですれ違った女性にロビーでもう一度会えないだろうか。服を着る。隠修士には到底なれそうもない。

*1
Peter Zumthor(1943―) スイス、バーゼル生まれの建築家。スイスを中心にその設計活動は話題になるが寡作。2008年高松宮殿下記念世界文化賞受賞。
*2
版築 中国や日本で古く土塀や基壇に使われた工法。型枠に土やにがり、小石などを入れて突き固める。
*3
ヴァルスの温泉施設/Therme Vals(1996) 建築家ピーター・ズントー設計の温泉施設。海抜1200mの地に30℃のお湯が出ることから温泉地となった地に、新たにつくられた施設。
*4
ブルーモーメント 日没直後の短時間に、あたり一面が青一色に包まれる現象。
*5
Eileen Gray(1878―1976) アイルランド生まれのデザイナー、建築家。ル・コルビュジエのパートナーとなる。
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