TOTO
五十嵐淳/状態の構築
 
3刷
著者=五十嵐淳
発行年月=2011年4月
体裁=A5判(210×148mm)、並製、326頁、和英併記
ISBN=978-4-88706-318-1

ブックデザイン=蒲原みどり

定価=本体3,000円+税
イベントレポート
『五十嵐淳/状態の構築』刊行記念トークイベント
ローカルな必然性
出演=五十嵐淳、角幸博
イベント動画:1 2 3
この地域だからこそ
レポーター=登尾未佳

建築家・五十嵐淳さんの本拠地、北海道にて作品集「五十嵐淳/状態の構築」の刊行記念イベントがその先陣を切って行われた。このイベント、当初は五十嵐さん単独トークショーの予定で、webサイト等での告知も直前までそううたっていた。ところが急遽、五十嵐さんの希望から参加の決まった北海道近代建築史および建築家研究者である北海道大学の角幸博[かど・ゆきひろ]さんの登場に、当日会場に多数詰めかけた観客も驚いた方が多かったことだろう。今や北海道を代表する精鋭建築家と建築史家によるトークは、地元ならではのヒストリカルな観点を絡めながら、五十嵐建築の「これまで」と「これから」を垣間みるものとなった。

はじめに五十嵐さんは、「設計活動を天秤にたとえるなら、寒冷地はその片方にのせる錘[おもり]のバリエーションが豊富な地域。天秤が釣り合うためには、もう片方にのせる設計のバリエーションにも幅が必要。多様性を見つけられれば、その場のローカルの必然性につながり、北海道の建築はますます面白くなると考えている」と語った。

五十嵐さんは国内のみならず注目度の高い若手建築家の一人であるが、1997年の独立以来ずっと活動拠点は北海道。今回の作品集の中で見られる数々の実作品も、ほぼすべてが地元に建つ。特に冬は雪と極寒の地において、他の地元建築家たちもそうであるが、特有の気候風土と向き合いながら建築に取り組んできた。講演時間の関係上、作品数を絞りダイジェストでその思考の過程が説明された。

ごく普通の北海道の住宅に後付けされた風除室(断熱性能が低かった玄関ドアからの冷気侵入を防ぐため対処療法的に取り付けたサンルーム的空間)にヒントを得たバッファーゾーン(緩衝空間)、時に凶暴になる直射光を柔らかく通すFRPやポリカーボネイトといった素材や開口部からの距離感によって拡散する光を多用することについて、日本古来の建築に見られる縁側などを例にあげながら、身近にあって主役にはならなかったもの、あるいは忘れ去られていたことを建築の主題にしてきたという。

バッファーゾーンや拡散光の活用は、意識レベルでの空間の広がりや奥行きを感じさせる、場の状態の表現である。これらの特徴的要素が、五十嵐建築が地域を越えて評価され、その空間を見る者、体感する者を魅了するのだと思う。さらに、少ないエネルギーで温熱環境的な性能を担保するといったテクニカルな部分も含めた思考が、北海道の建築をより多様にする可能性があるとも話す。現在のところ、こういったことが冒頭で述べられた天秤の錘になっているのだろう。
さて、五十嵐さんはなぜ角さんと対話したかったのか。五十嵐さんにはその都度、北海道であるが故の必然的な気付きがあった。作品ごとにそれを積み重ね反復しながら、この場所でしかできない建築をつくりたいとの思いで実践してきた。あらためて歴史を知り、北海道の建築がどう移り変わってきたのか、自分なりに考えてきたことの確認の意を含めて、角さんとの対話から見出したいのである。

蝦夷地開拓のため、明治期からの入植によって、本州の様式で移入した寒すぎる建物と共に始まった北海道建築史。先人達もいろいろな試みをしてきている。

角さんは、昭和の戦前期より市民に対して建築家の職能を啓発した3名の建築家を例にあげた。札幌に3年間事務所を構えたスイス人のマックス・ヒンデル(1887~1963年)、帝国ホテル建設時にフランク・ロイド・ライトへ師事した後に札幌周辺でライト風の建築作品を多く残した田上義也(1899~1991年)、北のモダニズムとしてDOCOMOMO100選に自邸が選定されるなど北海道建築界に大きく貢献した上遠野徹[かとの・てつ](1924~2009年)。彼らは雪国を強く意識し、本州とは明らかに違う北海道向きの建築を提案していた。特にヒンデル自身の設計による札幌の自邸(東光園円い家/1924年)は、五十嵐さんの初期の計画案で後の作品にもつながる「ミラーサイトハウス」の入れ子状のプランと考え方が似ていることに五十嵐さん自身が驚き、寒冷地での設計では建築家は時代を飛び越えて同じような概念に至ることに気付かされる。しかし角さんによると、ヒンデルや田上の時代は建築家の思想を現実化する技術がともなわなかった。

現在、北海道では先人達の寒さや雪に対するさまざまな取り組みと試行錯誤のおかげで断熱・気密性や室内の温熱環境といった建築環境性能を高める技術は誇れるようになり、もはや寒冷地であることが自由な空間構成やデザインのネックになることもなくなった。五十嵐さんから見て2世代上には、イメージとしての北海道を打ち出したり、外断熱によるブロック造に取り組むなどして、造形美の追求と同時に建物の性能向上も試み、パイオニア精神で北海道建築の一時代をつくってきた建築家もいる(倉本龍彦、圓山彬雄[まるやま・よしお]など)。結果、彼らの手法は建築家以外からも模倣されたのである。  一方で角さんは、北海道の建築は次の展開がなかなか見えなく足踏み状態かもしれないと思い、五十嵐さんはこの先、建築家が北海道という場所で単にデザインの新しさや特殊解だけを目指すのは寂しいことと考える。「僕から見ると、今のところ五十嵐さんの建築は一般解とは思えないけど(笑)?」と角さん。対して五十嵐さんは「地域のセオリーとなるような、普遍的な空間そのものの定義を提示できるようになりたいですね」と。今まさにその過程で、次なる時代を切り拓いている。

必要なのは、この地域だからこそのオリジナリティ。環境工学的なこともきっかけにして、他地域ではありえない豊かで多様な建築を生み出せたらいいのではないか。「前世代の建築家の取り組みを見直しながら、これから我々ができる方法を見出し、いつの日か北海道の景観自体を大きく揺るがすような建築やアイデアにつながっていけばいい」とも五十嵐さんはいう。

未来に思いを馳せると、北海道では天秤の向こう側にのせる錘はまだまだありそうである。

登尾未佳 Mika Noborio
1972年札幌生まれ。1995年北海道工業大学工学部建築工学科卒業。設計事務所勤務後、地元住宅雑誌「リプラン」の編集を経て、イギリスの建築・デザイン誌「BLUEPRINT」にて編集インターン(2007年)。帰国後、フリーランスの編集・ライターとして、「建築ノート」の編集などに携わる。
イベント情報
イベント名
『五十嵐淳/状態の構築』刊行記念トークイベント
ローカルな必然性
出演
五十嵐淳、角幸博
日時
2011年5月7日(土) 15:00~17:00
会場
紀伊國屋書店 札幌本店 1F インナーガーデン