TOTO
安藤忠雄の建築0
 
7刷
著者=安藤忠雄
発行年月=2010年3月
体裁=B5判変型(190×250mm)、並製、320頁、和英併記
ISBN=978-4-88706-309-9

ブックデザイン=太田徹也

定価=本体2,000円+税
イベントレポート
知識 vs 体験
レポーター=久野紀光

全国ほぼ一斉の梅雨明け宣言がされるやいなや、各地が記録的な連日の猛暑を迎えた7月の下旬。開演地の名古屋も最高気温38度を記録し、体温より熱い空気が夕方の都市を覆っていた。

うだるような猛暑にもかかわらず、安藤忠雄の声を聴きに集ったのは900人を超える、しかも文字通り老若男女。普通、この種の講演会が、仕事帰りの社会人や建築を就学中の学生で占められるのとは明らかに様相が異なり、講演直前の会場を見渡すと、中高生やら子供連れの母親、第一線から退いた高齢者が多く、市井の英雄である建築家安藤の面目躍如たるものがある。

そうした観衆の様相にアドリブで応じたのか否かは知る由もないが、突然始まった安藤の講演の少々長いマクラは、スライドも建築の話も一切ない。3,000人分の「事前正規チケット」を完売して2週間前に開催した上海同済大での講演会が、実際は「複写チケット発売」のために5,000人を集めたというエピソードを交え、独特のユーモアで会場を笑いで満たす。

やおら、最初のスライドが映された。

ロンシャンの礼拝堂である。

1955年に撮影されたというその写真が括りとっていたのは、建築それ自体ではなく、礼拝堂前に集ったおびただしい数の人間の風景。

「人が集うこと。そこに生まれるエネルギー。そのために建築を創る。」

スクリーン上のおびただしい人間の風景と、それを900人の聴講者が一堂に視ている事実とを、安藤のことばがシンクロさせる。

以降、90分弱の講演でスクリーンに紹介されるのは、全篇安藤の創った大量の事実「だけ」である。

ともすると建築を建築関係者以外から遠ざける小難しい論理や知識の披露など一切ない。筆者自身20年程前から幾度か安藤の講演に出向いているが、誤解を恐れずに言えば、語られるのはいつも安藤の創った事実と実体験談である。ネタは大抵判っている。

それにも関わらず毎回惹き込まれる安藤の語り口は、さしずめ噺家のそれに近い感を覚える。
この説得力、わかり易さが建築関係者以外やリピーターを集客する安藤の真骨頂なのだろう。そういえば、安藤の建築それ自体も、噺家に近しい創作的説得力を発しているようにみえる。
「経験主義的建築修業は、過去の作品に学ぶ、つまりは歴史を学ぶことから成立していた。モダニズムはそれを否定する。無から有を生じさせることは可能だと考えるのがモダニズムである。合理的分析の積み重ねは、必ずや解に到達すると考えるのである」(鈴木博之+東京大学建築学科編/『近代建築論講義』/東京大学出版会/2009)

安藤の建築では単純幾何学と限定された素材による上質な近代建築の語彙が繰り返し使用されていることは、(特別な建築教育を受けていなくとも)多くのメディア・写真により広く周知されて久しい。しかし、それはあくまで見てくれだけに囚われた、いかにも日本らしい粗っぽい取材であり、実際の安藤が、時間を捨象し普遍性を夢想した近代建築に真っ向から抗っていることを正しく説明しているメディアとなると、なんとも心許ない。いや、亜流も含め、近代建築の語彙がこれほどに氾濫した現在、飽きっぽい日本人が永らく安藤に注目し続け、こうして猛暑の下に900人の老若男女が集まる事実が示すのは、メディアよりよほど大衆の方が鋭敏に―それを自意識しているかどうかは別として―安藤に他と違う何かを看取しているのかもしれない。同じ演目でも噺家によって歴然と生じる高座の差を、記事より大衆が先んじて感知するように。

だから、今回の講演において安藤が繰り返し口にした知識と体験の差異も、単なる彼の建築家としての出自を伝説化する装飾と捉えるに留まっていては、この高座を半分も味わえていないことになる。上記に引用した鈴木博之の精緻な一節が導くように、知識と体験の差異とは、つまり近代建築と安藤の建築との差異の説明に他ならない。換言すれば、20世紀、身体を経由しない理念としての知識に偏重した社会や、功利が追い求めた末に苛まれた現在の閉塞感を打破するために、忘れ去られた身体を奪還し、これを経由した体験の集積の先に、時に理不尽な生き生きとした人間の事実を創るしかない、と彼は宣言しているのだ。知識はその事実を遂行するための戦略としてある、と。
安藤は言う。

「(命の)無いところに何も育たない。無から有は生まれない。だから、植林をし、建築を創り、人を、命を集める」かくして知識と体験という図式の導入は、近代建築を知らずともこうして咀嚼され、自閉的で小難しい建築論理を迂回して、安藤が近代とは一線を画した唯一無二の創り手であることを900人の聴衆に感じたらしめる。
安藤忠雄の創作を「批判的地域主義(クリティカル・リージョナリズム)」(K.フランプトン/中村敏男訳/『現代建築史』/青土社/2003)として位置づけたのは米国の慧眼の建築批評家K.フランプトンであるが、彼はその定義を以下を含めた7点に要約している。

「批評的地域主義は、“構築的”な事実としての建築を実現することを促進する」
「批評的地域主義は、経験を情報で置き換えようというメディア全盛の流行に反対する」
「批判的地域主義は、地域に根ざした“世界文化”という逆説の創造に向かおうとする」

万民を幸せにするべく20世紀が追い求めた普遍性や制度化といった明快な理念世界と、生き生きとした極めて限定個人から発露する私小説的世界との覇権争いは、どちらに軍配が挙がるのか。70歳を目前にしながら、まばたきひとつせずに戦況を凝視する安藤を間近にすると、後達もこの状況に眼をそらしていては、いまを生きている意味を失いかねないと強く思わせる。

久野紀光 Toshimitsu Kuno
1969年
神奈川県生まれ
1994年
東京工業大学大学院修士課程修了
1994〜98年
KAJIMA DESIGN
1999〜01年
東京工業大学大学院博士課程
1999年~
tele design collaboration network設立
2001〜06年
東京工業大学大学院助手
現在
名古屋市立大学大学院芸術工学研究科 准教授、博士(工学)
イベント情報
イベント名
TOTO出版20周年記念 講演会「近著と建築・デザインを語る」
創造の原点
講師
安藤忠雄
日時
2010年7月22日(木)
会場
名鉄ホール