青木淳
「その場の質」
'00年3月3日〜4月28日
構成に興味がある。しかしその構成を本当の建物をつかって「表現」してみたいとは思わない。構造の仕組みに興味がある。しかしその構造の仕組みを建築という生身の物質をつかって「表現」したいとは思わない。
建築には構成なり構造の仕組みなりがあることは当然である。そうでなければ、そもそもそれは建築とは呼べない。どういう構成をとっているか。どんな構造システムによってできあがっているのか。しかし、それらは手段にすぎないと思う。
で、それらを駆使して、なにを実現しているのか?
それこそが重要であると思う。
考えてもみてほしい。ここに一本の映画がある。映画にも構成があり、映画なりの構造がある。しかし、その構成を「表現」することが目的となった映画がどこにあるだろうか?その構造を「表現」するための映画を撮ろうとする監督がどこにいるだろうか?
建物で実現されているのは、空間や物やまたそれらのあり方がはりめぐらす「その場の質」としかいいようのないものである。コンクリートと鉄がそのままぶつかりあっている倉庫には倉庫の「その場の質」があり、ガラスと石が整然と割り付けられたオフィスビルにはオフィスビルの「その場の質」がある。ぼくが建物をつくっているときに考えているのも、今度の建物ではどんな「その場の質」を実現すべきなのか、ということである。
モダンの建築には、モダン特有の「その場の質」がある。モダンは、ぼくたちのある生活の仕方を夢みていた。それは一言で言えば、ひとりひとりが自分の判断と責任で自分の生を生きている、といった生活のイメージである。そのための空間のあり方、それがモダン特有の「その場の質」だと思う。ぼくたちはいまだにそのイメージのなかにいる。なぜならそれはいまだに実現されていないからだ。
ぼくもきっとそのなかにいる。そして、ぼくはそれを美意識としてというのではなくて、もっとその源まで溯りたいと思っている。溯って、その最初の夢の部分をぼくなりの仕方で、「その場の質」として実現させたいと思う。
青木淳
撮影:ナカサ・アンド・パートナーズ
講演会 : 青木淳講演会「その場の質」
4月19日 建築会館ホール
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