TOTO
過去の展覧会
1990年11月22日―12月22日
出展者=北川原温
会場の三方には壁がめぐらされ、この壁面に50近い覗き穴が穿たれている。この穴を通して、北川原が最も主張したい建築の断片を見ることができる。会場中央の7体のキューブには、浮遊する建築の断片が透明のアクリルの中に封じ込められている。
1990年11月6日―11月20日
出展者=相田武文、アモルフ、石井和紘、石山修武、出江寛、伊東豊雄、内田繁、木島安史、喜多俊之、北川原温、近藤康夫、阪田誠造、鈴木エドワード、高松伸、早川邦彦、長谷川逸子、宮本忠長、毛綱毅曠、葉祥栄、六角鬼丈

会場=TOTOスーパー・スペース(プラザL27)
ギャラリー・間が発足してから、5年間で42の展覧会が催された。5周年を記念して開かれたこの展覧会は、これまでの活動意義を再確認する機会となった。過去ギャラリー・間に登場した作家のうち、20名の建築家・デザイナーによる最新作の模型によってそれを確認する展覧会である。
1990年10月18日―11月13日
出展者=阪田誠造+坂倉建築研究所
300mm×300mmに限定された24本の柱の頂部に、あたかも柱と一体になって彫り込まれたかのように24体の建築模型が据えられ、会場の内外部を使って等間隔に整然と設置されている。
1990年9月11日―10月8日
出展者=皆川魔鬼子
テキスタイル・デザイナーの皆川は、主として素材のデザインを追求することで知られている。ここでの展覧会は、過去に行なわれたどの展覧会と比較しても際だって特徴のある空間構成である。
1990年6月22日―7月26日
出展者=モーフォシス(トム・メイン、マイケル・ロトンディ)
タイトルは、そのままこのグループの活動形態を端的に表現している。会場中央に設置された金属と木のオブジェは、彼らの工房でつくられたひとつの装置である。
1990年5月11日―6月14日
出展者=近藤康夫
会場は、小さく区分されたそれぞれ異なる空間が迷路のようにつながれて構成されている。ひとつの空間からこの迷路を通り抜け次の空間へ足を踏み入れるたびに、既に知覚した空間は瞬間的に消滅し、記憶の中から消え去る。
1990年3月27日―4月28日
出展者=アルド・ロッシ、ガエターノ・ペッシェ、エットーレ・ソットサス、倉俣史朗、内田繁、三橋いく代
福岡に建てられた「ホテル イル・パラッツォ(1989)」の設計に参画した作家たちのジョイント展である。ひとつの建築空間が、6人の建築家・デザイナーたちの協働によって生まれたことのエッセンスを端的に再現した展示である。
1990年2月16日―3月17日
出展者=宮本忠長
この作家の十数年にわたる建築活動の成果である「小布施町修景計画(1975〜90)」をテーマにした展覧会である。会場の内外部空間を貫通する曲面状の大壁に、年代を追って、宮本が渾身を傾けてきたこの計画の生成の軌跡が示される。
1989年11月17日―12月16日
出展者=内田繁
「閾(しきみ)」と題したこの展覧会では、“真・行・草”の手法に則った3つの二畳台目の茶室が展示されている。屋内では、“真・行”の2つの茶室が、屋外には“草”の茶室が置かれている。
1989年10月12日―11月11日
出展者=バーナード・チュミ
整然と壁面を飾るドローイング。会場の中央部分に位置する真紅に塗り込められたオブジェ。鋭く斜めに切り込まれたそれらのオブジェに据え付けられた模型もまた斜めに傾き、方向とスピードを生み出している。
1989年9月5日―10月4日
出展者=竹山聖
竹山聖を中心とする若い建築家たちの世界は、そのまま現在の都市が抱える混沌とした状況を端的に表現している。室内の展示は、アモルフの集大成ともいえるような作品群、主として都市をテーマにしたプロジェクトである。
1989年8月21日―8月30日
主催=追悼 大江宏展運営委員会(青木繁、芦原義信、石山修武、海老原一郎、鈴木博之、関野克、丹下健三、原広司、平田純一、武者英二、村松貞次郎、吉田義男)
大江宏は,わが国の近代建築の揺籃期に建築を志し、孤高なまでに自己の生き方を守り通した建築家である。伝統と近代、客観性と合理性を巧みに混在併存させた建築は、気品に満ちて風格さえ感じる。
1989年6月15日―7月20日
出展者=安藤忠雄
「水の教会(1988)」と「光の教会(1989)」の2作品を中心に構成された展覧会である。白一色のモノトーンに塗られた会場には、「水の教会」のイメージのまま、あくまで静謐な空間が、実作品と同じ空気をもって表現されている。
1989年5月8日―6月7日
出展者=金琪碩(キム・ギーソク)、趙成龍(チョー・ソンヨン)、金仁喆(キム・インチョル)
韓国の現代建築は、日本では意外と知られていない.しかし,金重業,金壽根なき後、第3世代というべき建築家たちが確実に育ってきている。この展覧会はその第3世代のリーダーと目される3人のジョイント展である。
1989年3月27日―4月26日
出展者=長谷川逸子
屋内と屋外の2つの異なる空間が、この展覧会では巧みに使い分けられている。屋内は、代表作「湘南台文化センター(1989)」のみで構成されている。
1989年2月23日―3月20日
出展者=喜多俊之
“家具とは形が変化しないもの”といった概念がある。しかし喜多は、ものの見事にこの概念を打ち破った。使う目的によって自由にフォルムが変化し、機能面にも心をくばりながら楽しませてくれる。
1989年1月17日―2月16日
出展者=木島安史
屋内と屋外の空間とで相反する展示手法を使いながら、どちらもドームのコンセプトを表現している。屋内の展示ではアクリルのフレームを組み合せた半球対の空間がつくり出され、この半球の中で実際のドーム空間が体験できる。
1988年11月16日―12月20日
出展者=六角鬼丈
「伝家の宝塔」と名付けられた巨大な4つの家具が、会場の中央に置かれている。それぞれの家具の中に隠された装置には、過去・現在・未来への六角の記憶と願望が封印されている。
1988年10月11日―11月9日
出展者=レム・コールハース
床に整然と並べられた図面。上部から吊り下げられた模型。周囲の壁面を飾る彩色されたドローイング。オーソドックスな会場構成は、かえって見る者に新鮮なイメージを与える。
1988年9月5日―10月4日
出展者=出江寛
ここでは、一般的な展示方法である模型・写真・ドローイング・図面といった素材が極端に省略されている。訪れた人にこのためだけに創造された空間の中に身を置かせることによって、出江の意図する建築の質を理解させようと試みる。
1988年6月15日―7月20日
出展者=鈴木エドワード
会場の中に、この作家に関する多くの情報がコンパクトに要領よく収められている。初期の作品から現在、そして今後の展開へと、時系列的に表現されている。
1988年5月10日―6月8日
出展者=粟辻博
“積・華・壮・響・重・数・間”と8つの名を冠したモチーフでプリントされた布が、会場にそれぞれ自立する。展示は、内部と外部の2つの対立する空間の中で展開される。
1988年3月18日―4月16日
出展者=杉本貴志
会場の空間全体が杉本の作品である。“線”をモチーフにしたアクリル・パイプが、会場を二分する。“線”と“線”との間に生まれる空間は、見る角度によってその狭間に全く異質な空間を生み出す。
1988年2月8日―3月12日
出展者=毛綱毅曠
会場の中央に、コスモス(宇宙)空間としての大きなシェルターが置かれ、その内部はほの暗い人間の胎内空間を象徴する。さらにその一隅に、万物の発胚の種子ともいうべき特大の卵が置かれている。生命の根源、生成因子としてのこの卵には、毛綱の過去の記憶=遺伝子が封印されている。
1987年12月4日―1988年1月23日
アート・ディレクション=田中一光、表紙写真=石元泰博による竹中工務店のPR誌『approach』が、100号(1964年創刊)を迎えたことを記念して開かれた展覧会。
1987年10月14日―11月20日
出展者=ヴィットリオ・グレゴッティ
多くのイタリア人建築家がそうであるように、グレゴッティも建築から都市計画、工業デザイン、グラフィック・デザインに至るまで、幅広い領域で実践を試みている。
1987年9月1日―10月2日
出展者=相田武文
「涅槃の家(1972)」から「東京都戦没者霊苑(1988)」に至るまで、15年間に及ぶ設計活動の中から住宅を中心とする22のプロジェクトが展示されている。相田の建築には、つねに強いテーマ性が存在する。
1987年6月4日―7月18日
出展者=黒川雅之
この展覧会では、「蛇口」「腕時計」「文具」「屋外燈」という4つのカテゴリーに分けて作品が展示されている。建築家であると同時にプロダクト・デザイナーでもある黒川は、“モノ”そのものを建築と等質に置き、これらを一種の空間として捉えている。
1987年4月23日―5月26日
出展者=葉祥栄
「光格子の家(1981)」「光十字の家(1985)」などの住宅作品から「小国町町民体育館(1988)」の木造立体トラス構造による大架構建築に至るまで、13のプロジェクトが展示されている。
1987年3月10日―4月10日
出展者=高松伸
1977年から10年間にわたる建築活動の中で生み出してきた「織陣 I・II・III(1981, 82, 86)」をはじめ、「WEEK(1986)」「キリンプラザ(1987)」など29のプロジェクトが展示されている。
1987年1月21日―2月28日
出展者=川上元美
飾棚、サイドボード、テーブル、キャビネット、椅子など近作の家具15余点が展示されている。この会場では、プロダクト、インテリア・デザイナーとしての川上の多彩な活動を知ることができる。
1986年11月17日―12月20日
出展者=伊東豊雄
初期の作品「アルミの家(1971)」をはじめ、「シルバー・ハット(1984)」「レストラン・ノマド(1986)」など7つの話題のプロジェクトと、アルミメッシュで成型された椅子・テーブルなどの家具によって構成された展覧会。
1986年10月7日―11月8日
出展者=ヘルムート・ヤーン
「イリノイ州センター(1985)」をはじめ、これまでの主なプロジェクト18点が展示されている。大型の精巧でメタリックな模型、ペンシル型のタワー状の模型などが会場内に林立し、その迫力に圧倒される。
1986年9月1日―9月25日
共催=西武セゾン・グループ
協力・資料提供=菊竹清訓、田中一光、杉本貴志
東京・渋谷は、若者が好んで集まる街のひとつである。ここに、西武百貨店を中心に“SEED=種”と名付けられた商業空間が誕生した。そのコンセプトは、いわゆる施設そのものではなく、これからの商業的空間のあり方、戦略も含めた有機的コンプレックス・イメージを捉えることにあった。
1986年8月18日―8月27日
日本の近代建築の巨匠、前川國男の追悼展。戦前・戦後を通し、日本の近代主義建築を身をもって実践した建築家として、わが国の建築界においてその名はさん然と輝いている。
1986年7月7日―8月6日
出展者=早川邦彦
建築と都市との関係の中で“建築がつくり出す風景”に、早川の関心が集約されている。ここでの展覧会は、こうした理念に基づいた、住宅と集合住宅のプロジェクトによって表現されている。
1986年6月10日―7月3日
出展者=石山修武
石山の出世作である「幻庵(1975)」をはじめ、「卵形のドーム(1981)」「松崎町一連の建築(1985)」など、これまでの建築家としての軌跡ともいうべき18のプロジェクトが、模型・写真・ドローイングで展示されている。
1986年5月9日―6月6日
出展者=亀倉雄策、中西元男(PAOS)
1985年電信電話公社の民営化政策にともない、わが国最大の民間会社NTTが誕生した。これを機にNTTによる6社指定のCIの企画コンペが行われ、その結果、PAOS(中西元男)・電通案が選ばれた。核となるシンボルマークのデザインが、PAOSからグラフィック・デザイナーの亀倉雄策に発注された。
1986年4月9日―4月22日
戦後、国の主催によって行われたわが国を代表する公開コンペの最優秀(1等)案を一堂に会して開かれた展覧会。「国立国会図書館(1954)」のミド同人案、「国立劇場(1963)」の岩本博行+竹中工務店案、「国立京都国際会館(1963)」の大谷幸夫+沖種郎案、「最高裁判所(1968)」の岡田新一案の4点は、いわゆる「国の4大コンペ」といわれ、建築界に大きな話題を提供した。
1986年2月13日―3月26日
出展者=石井和紘
これまでの15年間の建築活動の集大成ともいうべき作品展。「直島幼児学園(1974)」にはじまり「クライスラー・ハウス(1987)」に至る、住宅を中心とした23のプロジェクトの模型が重層するかのごとく所狭しと並んでいる。
1985年10月25日―11月30日
出展者=フランク・O・ゲーリィ
ギャラリー・間のグランド・オープンとしての建築展。展示内容は、「ロヨラ法科大学(1981)」「カリフォルニア航空宇宙博物館(1984)」「ピーターソン邸(1984)」をはじめとする7作品。