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三分一博志講演会「風、水、太陽」

講演会レポート
建築五書
レポーター:橋本 純


2016年4月15日、東京・千代田区のイイノホールで、建築家・三分一博志の講演会「風、水、太陽」が行われた。この講演は、TOTOギャラリー・間の「三分一博志展 風、水、太陽」(4月15日--6月11日)と、書籍『三分一博志 瀬戸内の建築』との連動企画だが、今回のレクチャーは特に書籍とのシンクロ率が高い印象があった。なので聞き逃した方もこの書籍を丹念に読んでいけば、レクチャーを追体験できるだろう。ここではその手がかりを提供したい。
三分一博志の建築を理解する上でもっとも重要な概念は「動く素材」である。
「動く素材」とは、コンクリート、鉄、木、ガラスなど場所に固定されて建造物の形態や空間を物質的にかたちづくるもの=「動かない素材」に対して、空気、水、光、熱など建造物の周りに遍く存在してその質を決定づける、流動性を持った物質やエネルギーに三分一が与えた呼称である。
一般的に建材とは、建築を構成する部品であり、それゆえ自然から人間を守るためのもので、そもそも自然とは対峙する関係をなす。しかし三分一はその自然自体を「建材」として建築に取り込んでしまった。「動く素材」を建材化された自然と措定すると、近代以降の建築ではほとんどその実例がないため、三分一は時間をかけてその性状を検証しつつ実践するということを繰り返した。経験の蓄積によってしか成長しようがない、孤高な世界で設計を重ねていったと言えよう。
たとえば今回のレクチャーでは言及されていないが「ストーン・ハウス」(2005)では、砕石で法面を築いて建物の半分を地中に埋め込み、盛り土内部の砕石のサイズを変えることで浸み込んだ雨水の排水速度に差をつくり、それを断熱材と冷却材として機能させている。「MIYAJIMA OFFICE」(2008)では、屋根面を全面ガラスにして太陽の輻射熱を積極的に受容し、暖めた空気に三角錐状に高く立ち上がった屋根形状で速度を与え、室内環境を形成している。
ストーン・ハウス(2005年) ©三分一博志建築設計事務所
これらの「動く素材」を取り込んだ建築形態は独創的だが、いずれも先行するプロジェクトをステップにして、次のプロジェクトがスタディされていったことに変わりはない。それゆえ三分一の仕事はクロノロジカルに解説されることが望ましい。ところが今回のレクチャー及び書籍で取り上げられた5つのプロジェクトは、「宮島弥山展望台」(2013)、「六甲枝垂れ」(2010)、「犬島精錬所美術館」(2008)、「直島プラン」(直島の家またべえ、直島ホール_2015)、「おりづるタワー」(2016)と、竣工順に並べられていない。あえて時間軸を外した意図はどこにあるのか。
宮島弥山展望台
弥山は、嚴島神社とその神域を擁する宮島の中央部に位置する山で、三分一が子供のころからよく訪れていた場所である。幼少期の記憶とつながっているという意味で、ここが彼の思考の原点に位置付けられるだろう。一方で今日の彼は、嚴島神社や弥山を「世界でもっとも美しく『動く素材』を表現している場所」と解析する。経験が原点の読み込みを深化させている。
そして弥山の山頂、標高約500mのところに建つ展望台は、「動く素材」のつくり出した美しい造景を見るための場所として設計された。
宮島弥山展望台(広島県/2013年) ©新建築社写真部
六甲枝垂れ
六甲山頂付近、標高約900mのところに建つ展望台である。同じ瀬戸内の展望台でありながら、前述の弥山展望台とは立地条件が大きく異なり、標高も倍近くあるため、冬は寒く樹氷さえ付く。この条件の違いは三分一にとって、瀬戸内の多様さの発見であり、「動く素材」である水のふるまいの違いとして受け止められている。冬は建物に付着する樹氷として視覚化され、製氷・貯蔵され、夏は溶け出して涼を呼ぶ。建築は水の三態を体験する装置として実現した。
六甲枝垂れ(兵庫県/2010年) ©三分一博志建築設計事務所
犬島精錬所美術館
犬島は、江戸時代から良質の花崗岩の採掘場として知られていた。そのため島じゅう採掘跡で穴だらけにされ、明治期には銅の製錬所が設けられたが、それも10年で廃墟となる。つまり犬島はほとんど原形をとどめないほど人間の手によって破壊し尽くされた島だった。宮島を見て育った三分一にとって犬島のその風景との出会いは衝撃的だっただろう。
そこで三分一はこの状況を棚田になぞらえる。棚田は人間が食糧生産のために行った環境破壊だが、数百年を経た現在は美しいと言われている。それはどういうことか。三分一は、棚田は人間が稲作のために水という「動く素材」の速度を調整した結果であると言う。「動く素材」の速度変換は、これまで彼が設計してきた建築と同じ考え方だから、「動く素材」でできている棚田は、概念上建築と同義となる。
人間の手による環境破壊は、「動く素材」を介在させることで、美しい建築として再生させることができる。この概念を適用した建築が「犬島精錬所美術館」である。ここで三分一は、太陽の熱を動力にして風を動かし、安定した温熱環境をつくり出した。温度が一定という意味ではない。太陽がなくならない限り動き続ける永遠機械のような環境という意味である。
「動く素材」は時間をかけて環境を修復する。瀬戸内という古くから人間と自然が共存関係を築いてきた場所では、破壊と再生が「動く素材」を媒介に繰り返されてきたことが語られる。
犬島精錬所美術館 (岡山県/2008年)©三分一博志建築設計事務所
建築:三分一博志 アート:柳 幸典 企画運営:公益財団法人 福武財団
直島プラン
最近、三分一は、直島の本村にふたつの建築を設計した。古民家を改装し離れを増築した住宅「直島の家またべえ」と、前回の瀬戸内芸術祭で水盤上に1/6モックアップが展示されたことで知られる「直島ホール」である。
このふたつのプロジェクトに際して三分一は、もともと城下町であった本村に現存するいくつかの民家をリサーチし、この集落に共通する座敷と縁側の配置が、集落南西部に広がる棚田から吹く風の流れを享受するための仕組みであることを発見した。400年前の家屋配置が「動く素材」に則って計画されていた。これを「動く素材」の建築的伝承と受け取った三分一は、「建築は未来への手紙である」と考えるようになったという。そして直島プランの一連の仕事は、過去の建築から受け取った「動く素材」の扱い方を、自分の建築をメディアとして未来へ手渡すための仕事と位置付けられた。
直島本村の風の流れ、水の流れ ©三分一博志建築設計事務所
おりづるタワー
原爆ドームの東側に近接するビルのリノベーションである。西側にバルコニーが、東側に外部化されたスパイラルスロープが、構造補強を兼ねて取り付けられている。スロープは13階の展望台へ繋がり、頂部からは広島市内と原爆ドーム越しに宮島を望める。ここで最初の建築「宮島弥山展望台」と最後の建築「おりづるタワー」が繋がった。
広島は、原爆投下直後は70年間草木も生えないだろうと言われていた。しかし広島はその予想を覆し、見事に再生を果たしている。その原動力を三分一は「動く素材」に見ている。被爆という劣悪な環境汚染が起こっても、街を取り巻く風、水、太陽のつくり出す循環は、徐々にその汚染を修復していく。三分一は「おりづるタワー」で、昼夜で風向きを変える海辺の町特有の風、分岐して海へと注ぐ河川、間断なく繰り返される潮の満ち引きなどの「動く素材」が再生させた広島という造形物を感じるための空間を提案した。
おりづるタワー(広島県/2016年) ©三分一博志建築設計事務所
通してみると、このレクチャー&書籍の構成は、「動く素材」を発見し、それを建築に取り込み、建築で視覚化させ、それ自体を建築化し、最後に建築は「動く素材」を感じるためのメディアとなっていくというプロセスを描いた物語に仕立てられていることがわかるだろう。経験が昇華し概念として結晶化する過程として組み立てられているのだ。
それはまるで「動く素材」こそが創造主であり、建築や建築家はそれに従う徒たるべきと悟った三分一が、瀬戸内という場所を借りて描いた建築の聖典、「建築五書」のようである。
このように述べると、「動く素材」という概念はあくまで自然を語るものであって建築を語る概念ではないという声も聞こえてきそうだが、そもそも西洋建築史の出発点に位置するウィトルウィウスが、その著書においてギリシアから学んだ自然の読解法に多くの頁を割いていることを思い起こせば、三分一の描いた物語は、建築書の初源を継承しているとも言えるだろう。
「動く素材」とは、建築概念の初源への帰還を促すメッセージだったのだ。
橋本 純 Jun Hashimoto
1960年
東京生まれ。
1983年
早稲田大学理工学部建築学科卒業。
1985年
早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻修士課程修了。
1985年
株式会社新建築社に入社、『新建築』、『住宅特集』、『JA』の編集長を経て、2008年より同社取締役。
2015年
株式会社新建築社を退社、株式会社ハシモトオフィスを設立。
現在、株式会社ハシモトオフィス代表取締役、株式会社新建築社社外取締役、東京理科大学非常勤講師。
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著者=三分一博志