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TANGE BY TANGE 1949-1959/丹下健三が見た丹下健三

展覧会レポート
過去のことよりも、未来のことを考えさせられる展示
レポーター=藤村龍至


本展覧会は、1950年代の丹下健三に焦点を当てたものである。36歳から46歳までの若き丹下が、「広島平和会館原爆記念陳列館」(1952)をきっかけに世界に名を知られるようになり、旅をしたり現場に通ったりしながら成長するプロセスをたどる。その時々の丹下の関心を、小さな35ミリフィルムのコンタクトシート群を通じて想像することができる。その資料と対話する感じが楽しい。

丹下にとって「1949-1959」という時代は、理論の構築期でもあった。この時期の丹下は、設計面では当時まだ未知の素材であった鉄筋コンクリートを駆使して高層建築や大空間に取り組み、センターコアやピロティを正当化するために民主主義の論理を持ち出したりもしたが、コンタクトシートに出て来るいくつかの現場写真を見ると、砂埃にまみれた圧倒的に即物的な雰囲気のなかで格闘していた様子が伝わって来る。
第一会場全景 © Nacása & Partners Inc.
コンタクトシート © Nacása & Partners Inc.
他方で、この頃丹下が研究室で取り組んでいた研究の主流は、素材やプロポーションの研究というよりも、統計的アプローチを駆使した都市研究であった。その集大成として1959年、丹下は博士論文「大都市の地域構造と建築形態」を提出し、東京大学より工学博士の学位を受ける。

理論を固めた丹下はその後、大胆な構想を社会に対して問うようになる。1961年1月、NHKの正月番組に出演した丹下は、東京湾を横断するようにブリッジを掛けて都市機能を拡張する都市デザインの構想「東京計画1960」を発表する。その後、63年に東京大学都市工学科の教授となった丹下はやがて「建築家」を超え、「都市工学者」として社会に認知されるようになる。

建築界を超えて有名になった丹下は、『日本のメガロポリス』等で知られる都市社会学研究者の磯村英一ら異分野の専門家と交流を深め、理論に基づいた持論である「工業出荷額のより多いところにより多くの公共投資をする」という工場立地の集中論を展開した。それは全国に公共投資をばらまくよりも、きちんと投資先を集中して、しっかりとした経済的な成果を上げるべきであるという至極真っ当な主張であり、4大工業都市を連結して太平洋ベルトを形成するという国の政策とも連動して社会に大きなインパクトを与えていく。

しかし、工業化の進んだエリアに集中投資せよ、という都市工学者・丹下らの主張は、裏を返せば、工業化の遅れた地域には投資を控えよ、という主張でもあった。それは次第に工業化した都市と農村との間の格差解消を支持するようになった世論と距離を生むことになる。田中角栄が『列島改造論』を発表し、丹下が都市工学科を退官する1972年から3年にかけて、丹下は再び転向を余儀なくされる。
中庭 © Nacása & Partners Inc.
つまりこの展覧会は、社会的には壮大なグランドデザインの構想やオリンピック施設などの華やかな仕事で「都市工学者」として知られるようになった60年代の丹下の準備段階として、統計を駆使した緻密な都市研究と黎明期の鉄筋コンクリート現場との往復に没頭する純粋な「建築家」であった頃を描くものなのだが、この展示はそのようなひとりの建築家の過去を描くに留まるものではない。

なぜなら、時代が一巡して、今私たちは若き日の丹下と似た課題に向かい合っているからである。わが国の社会資本は十分に整備されたが、50年代から60年代に打設された鉄筋コンクリートの多くは耐用年数とされる時期を迎えつつある。ところが、人口減少と超高齢化を迎えた社会は均等な再投資を行なうことができず、どこを更新してどこを除却するか、選択と集中を余儀なくされている。
第二会場 © Nacása & Partners Inc.
集中投資は論理的には正しいが、政治的には対立を呼ぶ。今ここに40歳の丹下が戻ってきたら、一体どのような提案をするだろうか。丹下の軌跡を学んだ私たちは今、何を見て、何を研究するべきなのか。会場に並べられた無数のコンタクトシートを眺めながら、過去のことというよりもむしろ未来のことを考えさせられてしまう、そんな展覧会である。
藤村龍至/Ryuji Fujimura
1976年東京生まれ。2008年東京工業大学大学院博士課程単位取得退学。2005年より藤村龍至建築設計事務所 主宰。2010年より東洋大学専任講師。主な建築作品に「鶴ヶ島太陽光発電所・環境教育施設」(2014)、主な 著書に『批判的工学主義の建築』(2014)『プロトタイピング-模型とつぶやき』(2014)。
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監修=岸和郎、原研哉
編著者=豊川斎赫