The Best of Graduation Works 2010 in NIPPON
2010 4.14-2010 6.19
展覧会レポート
レポーター:橋本尚樹
 
「芸術においては最悪の条件こそ最大の飛躍の契機となるということを私は信じるのである。ー中略ー ピカソをのり越え、これを飛躍的に発展せしめる芸術家はむしろ社会的条件の悪質な日本から出るべきだ(太郎は前項で日本の文化的悪条件を指摘している)」(岡本太郎著「青春のピカソ」より)

この“卒計ブーム”に懐疑と危惧を抱く方も多いだろう。学生はこの現象に大いに巻き込まれ混乱させられる。設計についてだけでなく、余計な思考をたくさんしいられるのだ。そしてその大半が、純粋で素直な制作の邪魔になる。ただでさえ不確かで迷い多い時期である、この状況下で本質を見極めて進むことがどれほど困難か。しかしどうだろう、その過酷な状況にこそ戦う価値があるという発想をしようではないか。それは太郎の言葉を借りれば、「最悪の条件こそ最大の飛躍の契機である」というように、過酷な状況にこそいっそうの高みに挑戦する好機とも解釈できるのである。

今年もギャラリー・間で「卒業設計日本一展」が開催された。入賞作の中で、特別賞の女性の作品が一つだけ違った的に投げられているようで、なんだか嬉しかった。当たり前だが、学生の思うままに制作を許す環境があることと、彼女を評価した審査員の意思を感じたからだ。客観的な判断など不可能な場で、“強引に”一番を決める。この一見矛盾をはらんだイベントにおいて、どう考えても順位はイベントの本質ではない。学生も建築家も各々が各々で、この異様なまでに盛り上がったイベントの本質を見極めて、それを好機として獲得したい。

僕は、この展覧会が東京で開かれる意味は極めて大きいと思っている。それは誰もが自分で観て、自分で評価できる場が与えられるからである。審査員の講評や発言に学ぶことはもちろんあるが、それは自分で判断した後に参考にする程度でいい。審査員が変われば審査結果は変わる。たとえ、入賞作の中に大きな感動を覚えなかったとしても、それはそれなのだ。審査結果に同調して無理に感動するなんて絶対にしないでいい。そのズレこそが、誰も思いつかない圧倒的な作品を生む想像力になるのだと信じて、正直であればいいのだ。少し極端かもしれないが、この展覧会はそのズレを発見する場にならなければならないと思う。

今年のギャラリー・間の展示も、展示スペースの半分がアーカイブ展示に使われ、入賞作品に限らず全応募作品を等しく並べてあった。メインの場所ではないが、これこそ必要な場所だと感じた。

正面の大きなスクリーンで審査当日の会場の様子が映し出されている。入賞作品は大勢の観客の前で評価されている。でもワタシは、アーカイブの中から引き出した別のこの作品がどうしようもなく気になる。どうしてあれが選ばれて、これはダメなのだろう。ワタシが間違っているのか、気付くことができていないのか。……ではワタシは来年どんな作品を作ろうか。やはりワタシも評価されたい。審査員は何を求めるのか。審査員は誰なのか。でもそれが本当にワタシのやりたいことなのか。ワタシはまず何がしたいのか。ワタシには何ができるのか。評価とは一体なんなのか。卒業設計とは何なのか……

この展覧会は開かれている。ここで感じたことに正直に、勇気を持って自分自身を挑発したい。僕たちは、この誘惑的状況を前に大いに試されているのだ。
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