20 Klein Dytham architecture
2009 4.8-2009 6.6
展覧会レポート
ギャラリー・間 20 クライン ダイサム アーキテクツの建築 展覧会レポート
レポーター:西沢大良
 
展覧会「20」
クライン・ダイサムによる個展「20」は、彼らの創造力の急所に触れる格好の機会である。過去20年間の彼らの仕事は多岐にわたり、建築やインテリアからイベントプロデュースまでのさまざまなジャンルを横断しているが、それらは、基本的にたったひとつの単純な方法からもたらされたことが、この展覧会にはっきりと現われている。
まず会場の説明をしておこう。
2つあるフロアはどちらも単純なフォーマットである。第1会場(下階)は写真展であり、彼らの過去の作品を写真で紹介している。ただし写真の支持体がちょっと変わっていて、何という名前なのかわからないが、よく酒場のスナックで見るようなサイン看板が支持体となっている。自作の写真をはめ込んだスナックの看板が、屋内から屋外にわたって20個並んでいるのである。これにたいして、第2会場(上階)は模型展である。ただしその支持体がさらに変わっていて、これまた何という名前なのか知らないが、よく観光地のおみやげ物屋さんで見かけるクリスタル細工が20個並んでおり、その内部に彼らの作品がレーザー加工で彫り込まれているのである。
全体としてこの展覧会は非常に明快であり、スペースとしても簡潔である。通常の建築展のように、模型や図面や写真といった異なる媒体が所狭しと持ち込まれ、全体としてゴチャゴチャしたスペースになってしまうことがない。かといって、もうひとつのよくある建築展のパターン、すなわち単一の媒体(たとえばドローイングパネル)だけが持ち込まれ、美術館の展示室のような平凡な印象になるということもない。彼らが持ち込んだのはスナックの看板とクリスタル細工といった既製品であり、誰でも知っているような「既知のモノ」である。そのため、まるでギャラリー・間の展示会場が不思議なショールームに変わってしまったような、あるいは謎のショップに変わってしまったような、もしくは趣味のコレクションを集めたオタクの部屋に踏み込んでしまったような、ユーモラスな印象が生まれている。事実、私はこの会場に入ったとたんに爆笑してしまったのだが、それはスナックの看板とクリスタル細工という、想定外のモノに出くわしたためである。
別の見方をしてみると、もともと会場であるギャラリー・間のビルには各階に衛生機器のショールームやブックショップなどが納まっているわけだが、そこに新たにショールームを2つ付け足したような展示計画になっているともいえる。どちらにしてもこの展示は、ギャラリー・間のビル全体のイメージを揺さぶっているようなところがあり、軽いジョークを放っているようなところもある。それは通常の建築展のフォーマットからは生じない印象であり、明らかに看板とクリスタル細工といった「既知のモノ」を動員したことから生まれている。

既知のモノの組み合わせ
このように「既知のモノ」を用いること、あるいは組み合わせることは、実は彼らの建築にも頻繁に見られる手法である。たとえばウエディングドレスのようなレース模様を外観全体にあしらった結婚式場や、風呂桶のような構造ユニットによる森のなかのスパや、熊本レンコンを模したブリッジを横断させた駅前広場のコンペ案や、外装全体をモザイク処理したような高層ホテルなどなどである。「既知のモノ」の組み合わせや組み替えは、彼らの建築においてもつねに見られる手法であり、彼らにとって重要な創作方法のひとつとなっている。
またこの方法は、彼らにとってジャンルの横断性の原動力となっているようにも思われる。たとえば彼らの発明したイベントである「ぺちゃくちゃないと」は、通常のスライドショーのフォーマットを少しだけリニューアルしたもので、複数の演者が20枚のスライドを20秒ずつ連続して映写するというイベントである。このイベントを考える際にも彼らは、「既知のモノ」を組み合わせたのである。すなわち「講演会」の形式と、「オーディション番組」の形式を、組み合わせて組み替えているのである。「ぺちゃくちゃないと」はすでに彼らの手を離れて世界180以上の都市で独自に開催されているというが、この単純なイベントがかくも面白く、かくも世界中に広まった理由は、誰でも知っている既知のモノを活用したことに一因がある。あるいは次のような例もある。筆者があるときマークと食事をしたとき、彼は前日に乗っていたジェット機の座席の話をはじめた。いわく、その座席は今までにないリクライニング方式になっており、就寝時に背もたれを倒すと完全に水平状態のベッドになるらしく、「もしあれを大量に購入すれば新しいホテルや宿泊施設ができるだろう」と嬉々としてしゃべったことがある(ちなみにそのアイデアは、その場に同席した某企業の社長によって、新しいビジネスモデルとして採用された)。この場合も、やはり彼は既知のモノを組み合わせたのであり、既存の「ジェット機の座席」と既存の「カプセルホテル」なり「ユースホステルの大部屋vなりを、組み合わせたわけである。したがって、彼らの活動が建築デザインだけでなく、イベント・プロデュースやビジネスモデルの立案にまで及んでいくときも、「既知のモノ」を組み合わせるという同じ方法が原動力となっている。
さらにもうひとつ。彼らの仕事について皆が異口同音に語る印象――楽しさ・ユーモア・楽天性・開放性・サプライズなどなど――も、基本的にここから生じているように私には思われる。「笑い」や「ユーモア」というのは、モノの組み合わせの齟齬から生じるという側面があるからだ。また彼らがよく言う「サプライズ」や「驚き」というのも、見たことのない組み合わせのことを指しているように感じられる。さらに、彼らがデザイナーとして「開放的」であり「楽天的」であるのも、身の回りにある多種多様なモノへの信頼から生じているように思われる。既存のモノを組み替えるという彼らの方法には、アイデアが枯れたり行き詰まったりすることがないわけだから、悲観的になるわけがないのである。
したがって、彼らが建築やインテリアにおいて多作であり、その活動がジャンルを横断し、個々の作品が開放的な印象を与えたりするのは、すべて「既知のモノ」を組み合わせるという、単純な方法が引き金になっているのである。別の言い方をすると、彼らのつくりだすものは、それが建築であれインテリアであれイベントであれビジネスモデルであれ、方法的な一貫性を持っていると言うこともできる。その多様な現れは、いわば「方法的に」もたらされたものであって、たんなる思いつきや楽しみだけでは成し遂げられないものなのだ。

生活思想としてのデザイン
かくも一貫した方法が背後にあるとするならば、そこに、彼らの「思想」を見て取ることも許されるだろう。彼らの「思想」とはおそらく次のようなものである。すなわち「人間の創造は、かならず既知のモノの組み合わせから生まれる」という認識である。あるいは「デザイン行為とは、究極的には新しい組み合わせを見つけることに他ならない」という思想である。彼らの創造力の急所はおそらくここにある。
念のためにいうと、一般に既知のモノを組み合わせることは、建築家やデザイナーにとってなくてはならない方法である。たとえば彼らの師匠の作品であり、過去10年間の建築界の流れを変えたといってよい「せんだいメディアテーク」は、冷静に分析するならば、既知のモノの組み合わせから成っている。ボキャブラリーレベルで新しいモノはひとつも見当たらないからである。もちろん「せんだい」に新しさはあるが、それは、いわば「既知のモノ」の組み合わせが起こした「化学変化」による産物である。ちょうど酸素と水素という既知の元素が合成されて未知の液体、すなわち水が誕生するというような、一種の「化学変化」によるものである。このことは、全く別の時代の作品、たとえばモダニズム期の名作である「代々木オリンピックプール」などについても同じである。「代々木」の場合は吊り橋とシェルといった既知のモノの組み合わせから成っているが、その組み合わせがあまりに劇的な「化学変化」を起こしたために、もとが吊り橋だったとは誰も気づかないような成果品が誕生したのである。ちょうど、水を飲むときに水素を感じることがないように、「代々木」も吊り橋に還元できないような独自の次元に達している。その意味では、「既知のモノ」と「未知のモノ」のどちらを用いて作業を進めたのかは、本当は重要ではない。肝心なのは「化学変化」の有無であり、それをもたらすような「組み合わせ」の有無なのだ(ちなみに、既知のモノの組み合わせが「化学変化」を起こさなかったケースというのがあって、ポストモダニストによる引用主義・編集主義がその典型である。ポストモダニズムにおける要素の組み合わせは、いわば「物理的な」組み合わせに固執したために、どこまでいっても構成的な次元に留まった)。
こうして新しい建築とは、「化学変化」をもたらす「組み合わせ」から生まれるのであり、またデザインとは、そうした「新しい組み合わせ」を見つけることである、という認識が成り立つ。そしてこの認識には、形而上学が一切ない。というよりそれは形而上学を志向しない思想なのである。それはあくまで創作の現場から出てきた思想であり、いわば経験的な生活思想に近い認識である。したがってこの思想は、形而上学とは別の射程距離をもっている。たとえばこの思想は、その創作方法とともに、大学でそのまま教えられるような平明なメソッドとなりうる(そして、事実彼らは学校で設計を教えるのが異常にうまいのである)。
以上のような思想と方法によって、見慣れたギャラリー・間のスペースが、奇妙なショールームのようにリニューアルされることになった。またギャラリー・間のビル全体のイメージも、おしゃれな複合施設のようなイメージをまとうことになった。クライン・ダイサムの展覧会「20」は、彼らの創造力のエッセンスを示す優れた展覧会となっている。
第1展示室に林立する電飾看板

©Nacása & Partners Inc.
中庭ブリッジから見る

©Nacása & Partners Inc.
第2展示室のクリスタルガラス製オブジェ

©Nacása & Partners Inc.
「TBWA\HAKUHODO」がレーザープリントされたクリスタルガラス製オブジェ

©Nacása & Partners Inc.
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