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小泉誠展 KuRaSiGoTo
Makoto Koizumi  KuRaSiGoTo
2005 9.15-2005 11.12
         
小泉誠展 KuRaSiGoTo  
展覧会レポート
小泉誠のものさし
レポーター:中野照子
 
小泉は、家具もプロダクトもインテリアも建築も、すべて人が関わる「道具」と考えデザインしている。暮らしの道具が好きで、モノをデザインするのが大好きなデザイナーだ。

インテリアの流れの中で小泉を見てみよう。『SD』の1986年5月号では「内部からの風景 日本のインテリア・デザイン」を特集している。ここでは、戦後の日本のインテリア・デザイナーを4つの世代に分類している。曰く第一世代は豊口克平、渡辺力、剣持勇など。第二世代は境沢孝、倉俣史朗、北原進など。第三世代は梅田正徳、内田繁、杉本貴志など。第四世代は近藤康夫、北岡節男、飯島直樹、沖健次など。


第一世代にあたる1960年以前は次のようにいわれていた。椅子やカーテンなどマーケットにあるものを集めてデコレーションするのが「インテリア・デコレーター」で、「インテリア・デザイナー」はそれらの椅子やカーテンをデザインする人。「建築家」はデザインしデコレートする人で、いろいろなモノや仕事をつなぎ合わせ、とりまとめて、一つの秩序をつくる、というのだ。

その後、高度成長期を経て60年代に入り、日本のインテリア・デザインは大きく変わっていく。学生運動を始めとする世の中の動き、環境芸術とデザインの融合、新素材の開発、ファッション業界の隆盛。さまざまな要素が重なって、商業空間に突出したデザインが見られるようになる。第二世代はその開拓者、第三世代や第四世代は、ブティックや飲食空間に華々しい世界を展開した世代である。時代を映す商業空間のインテリアはアバンギャルドであろうとする。インテリアを語ることは時代を語ることでもあり、より思想的、論理的になっていく。その中にいた私から見ても議論のための議論があったと思う。そのくらい当時のデザイナーはみごとに突っ張っていたのだ。

第1会場
第1展示室パノラマ画像
第2会場
第2展示室パノラマ画像
※画像を御覧頂くためにはQuickTimeが必要です、詳細はこちら

パノラマ撮影=コムデザイン
それから20年たち、インテリア・デザインはずいぶんとやさしくなった。とんがった非日常を楽しむ商業空間もあるにはあるが、総じて身の丈に合ったデザインになってきている。声高に時代の変革を唱えるのではなく、自分にとっていかに心地よいかが大切にされる。長い間、大きな変化がなかったインテリア・デザインの世界も次の世代に入っており、その一番走者が小泉だろう。

小泉のすごさは、モノづくりの目と手をもっていることだ。デザインされた完成形はもちろんだが、その過程を楽しみたいという気持ちを、素直に出している。

「モノづくりはだれのためにするかというと、まず自分のため。自分がうれしい、楽しい、ドキドキする。それが身近な人に伝わって喜んでくれると、自分がまたうれしくなる。そういう連鎖ってモノが生まれる背景には大切なんです」

「古いモノは、自分がめざすものと同じ心意気を感じるとうれしくなって自然に集まっちゃうんです」
「必然性のある形が好きかというと、そうでもなくて、それも気持ちいいけど、そうじゃないモノも両方好き」
小泉が部材の太さを決めるための角材スケールがあるが、これは寸法を測るものではなくて、このくらいの太さがいいかなと感覚を確認するもの、あとでそれが何ミリか知るためのものだという。最初から数字で決めてしまわないためのスケール。身体の奥底にもっている自分の感覚がものさしになっている。一見、なんでもないナチュラルなデザインの家具や空間に、ゆらぎのない強い軸が通っているわけだ。

会場は、生活提案のような展示である。4階の発泡スチロールの使い方などさすがと思わせるが、いつものカチッとしたギャラリー間の展示とは違う雰囲気に戸惑う人もいるのではないだろうか。しかし、見ていると、大テーブルで本を読んだりしてくつろいでいる人がいる。置かれた雑記帳には、小泉空間に感動した声がいくつも記されている。そうか、時代は確実に変わっているのだ。

参考文献/『デザインの素』小泉誠(ラトルズ)

インタビュー
家具デザイナー宣言
インタビュアー:中野照子
 
 
――:小泉さんは日頃から「現場に学ぶ」「人との関わりでモノをつくる」とおっしゃっています。今日は、これまでどんなふうに人と関わってデザインしてきたか、モノづくりを通して何をどう伝えたいのかをお聞きしたいと思います。

小泉:デザインっていろいろなケースがあるからむずかしいですよね。アートみたいなものなら自分の思想や考える行為で説明しやすいんですけど。僕の場合は、現場があったり、場所があったり、素材があったり、人があったりしてやっていくから、途中で考え方が大きく変わってしまう可能性があるんです。さっきまで一貫して言ってたことと逆なことを言うこともあるわけです。絶対こうだっていうのは見えづらいですね。だからそういう意味で今回の展覧会もいろいろなモノがありますが、すべてをくくって「こうだ」という心棒がなかなか見つけられない、自分でも見つけられないんです。
でもだれかに話していくと、ひとつひとつ説明ができるんです。中野さんがおっしゃるように、人やモノ、何かと関わるのもそのひとつですね。今回つくった本のタイトルを『と/to』にしたのは、「何と何」の「と」であり、「何から何へ」の「to」なんです。何かこう結果的にみなさんに伝わったらいいなという思いをこめています。

――:小泉さんは武蔵野美術大学の空間演出デザイン学科の教授でもあり、今日は展覧会の会場で授業をされていました。学生さんに何を伝えるのか聞いていたのですが、何回も「頭を柔らかくしなさい」とおっしゃっていましたね。

小泉:そうですね。形や考えはそれぞれだからいいんですよ。でも彼らが弾けてやっているか、広い視野を持ってやっているか、楽しんでやっているか、そういうところが大事だと思っています。
たとえば僕らが地場産業などに関わることになると、現場の職人の中にはこれまで東京から来て自分のデザインを押しつけていったデザイナーの悪い思い出がある人もいて、「あぁ、またデザイナーが来た」と嫌悪感を感じる人もいます。そういう状態のままお互いに距離があると、絶対いいモノはできない。だけど現場の職人さんと価値観を共有できて「あっ、いいね!やろうね。これもっと面白いよ」っていう共感が生まれたら違ってくる。それがすごく大切なんです。
学生でも「先生に言われたからやってます」というのは、僕は嫌なんです。だから具体的に詰めることはほとんどしないですね。応援団みたいな感じかな。

――:例えばココはこうするともっと良くなるのでは、とかアドバイスはしないんですか?


小泉:はい。下手に言うと学生はそのままやるでしょ。それは彼らにとって答えじゃないですよね、僕のアイデアを彼らがやるのでは。設定をなるべく広くして自由にやればいい。困った時に先生が相談に乗るくらいで。

――:そうすると平均的レベルを上げるのではなくて、すごく駄目であってもいいわけですか?


小泉:いいです。

――:いかに自分らしくできるか、ということですね。

小泉:そうです。大切なのは思いっきり何かを一生懸命できるかということだと思います。僕は体育界系ですから「いいよ、一生懸命できれば」みたいなところがあります。むしろ一生懸命できないで悶々としているのを見るのがつらい。それをこわしてあげて、「やれよ」と後押しする。今の若い人ってすごく頭でっかちになっている。先生の顔色を見る人もいるわけです。何かいいアイデアを上手にやる。上手なんだけど何か足りない。一生懸命になれるように僕はそれをわざと崩してあげようと思ってます。
僕は中村好文さん、原兆英・成光兄弟、鈴木恵三さんという全く違うタイプの人たちを見てきたから、客観的に自分を見ているのかもしれません。

――:そのあたりを具体的にうかがいたいと思います。
小泉さんはデザイン学校で建築家の中村好文さんに学びました。どんなことを教わったのですか?


小泉:正直、学生時代に中村さんや吉村順三さんの建築は格好良いと思えなかった。でも中村さんという人間が面白いんです。格好良くはないけど、工夫はすごい。家の物語もすごい。気持ちがいいんです。僕は全体というよりも、中村さんや吉村先生の住宅に対する心遣い、気遣いに「すごいなぁ」と感心したんです。
中村さんは僕らを学校以外のあちこちに連れ回していろいろなものを見せてくれたり、面白い大人に会わせてくれました。その頃、自分の価値観が生意気にもあったんですが、自由にやらせてもらうことで自信をもつことができました。そんな中村さんの建物ってって、今思うと格好良いんですよ。
この本にも書いたけど、「昔、格好悪いって思っていたものを格好良いと思える自分が怖い」というのはそのことです。当時は分からなかったけど、吉村先生の建築を格好良いと思えるようになった。そうはっきり言えるのはうれしいことですね。

――:そして、1985年に原兆英・成光兄弟のジョイントセンターに入ります。
二人がインテリア・デザイナーとして活躍していた頃ですね。それまでの感じとずいぶん違いますね。


小泉:はい。でも、当時の僕には原兄弟が格好良かったんです。学校を出て、建築を面白いと思いながら家具のデザインをしたいと思いました。中村さんに誰か好きな人に弟子入りしたほうがいいとアドバイスを受けていたので、格好良いと思っていたジョイントセンターを訪ねて行ったんです。当時、僕の住んでいる所から自転車で行ける距離でしたし、話を聞いてもらってその場で仕事をすることが決まりました。

――:アシスタントから始めたのですか?

小泉:そうです。最初は倉庫の整理から始まって事務所や棚の整理、掃除をやってお茶を出して、一年は図面もいじらせてもらえなかったですね(笑)。まあ、とにかく怒られるわけですよ。怒られる理由がわからないぐらい怒られる。でも今思うと全部理解ができる。言われていたのは人に対する礼儀とか作法のこと。尊敬している人たちがしていることを理屈抜きに身に付けようと思うから、だんだん分かってきました。
原さんにはこう言われました。僕らはデザインをすることでいろいろなプロと会う。ブティックのデザインをするなら洋服のプロに会うし、レストランのデザインなら食のプロ、いろいろな業界のプロに会うわけです。それぞれについてそれなりのことを僕らは理解しないといけない。洋服のプロに会うときは高いものを着る必要はないけどきちんと気を使って自分らしくしなさい、と。自分で意識しろと。それまでお茶を淹れるときなど意識しなかったんですが、どういうのが美しいか、熱さはどうか、お茶はどれがおいしいか考える。細かなことだけど、そうすると自分なりに楽しくなるんです。

――:若い時代にそれをやれたというのは良かったですね。

小泉:本当に良かった。リセットをしたっていう感じですよね。そういうことがなかったらいつまでも錯覚してるじゃないですか。原さんには「錯覚するな」ってずっと言われました。要するに人間は錯覚しやすいですから。江戸っ子だから「マシすんなよマシ」って。つまり「麻痺するなよ」っていうことをずっと言われました。今でもそれが僕の中で続いています。

――:BC工房の鈴木恵三さんにお会いになったのは、それから少し経ってからですか?当時、鈴木さんは広告制作と家具屋の二足の草鞋を履いていて、イタリアの家具を輸入したり日本のいい家具を復刻したりしていましたね。

小泉:僕が独立して間もなくです。一人で仕事をしていく道を探していたときに鈴木さんを知り、会いに行ったらいきなり先制パンチ。履歴書を持っていったんですが「そんなもの見ない。つくったモノをひとつだけ見せろ」って。その時、一番僕らしいモノを見せたからコミュニケーションがとれたのでしょうね。図面を描く仕事をもらって一生懸命描いたら「俺はな、模型と図面の上手な奴は信用できないんだ」と言われました(笑)。

――:当時の鈴木さんはやたらケンカをふっかけてましたからね。よく嫌にならなかったですね。

小泉:それが面白かった。なんだ、この人って思いました。店でトークをよくやっていましたがしょっちゅうケンカになる。こんな大人もいるのか、とちょっと憧れちゃいましたね。すごいな、この人たち。嘘じゃない、本気だ。家具のことでどうしてこんなに熱くなれるんだろうと思いました。

――:しゃべるのが得意じゃなかったという小泉さんが、今では議論も厭わないそうですが、それも鈴木さんの影響なんでしょうね。さて、最後の質問です。今回の展覧会のオープニングで「僕は家具デザイナー」と宣言されました。それは、どういうことなんですか?

小泉:その気持ちは多分ずっと持ってたんですね。家具を自分でつくりたい、と。現実には、若い頃は家具で食うことができず、インテリア・デザインの世界に行きました。でもインテリア・デザインをやることで客観的に家具を見ることができた。「こんな家具のやり方もあるんだ」と広い視野で見ることができた。また、建築という中で中村さんや吉村先生の家具を見て、「家具」が広がってきたんです。それは当たり前のことだけど、ただ家具だけやっているとそうはいかないと思います。家具って暮らしのことを分かって、建築をきちんとやらないとできないことだと思ったんですが、当時はまだ公団に住んで百円ショップでモノを買うような「とりあえず」の生活なわけですよ。そんな自分にまともなことができるわけがない。家具でも同じで、自分が使ったことのない、経験したことがないモノをつくっても、形にはなっても使うと嫌な思いをするんですよ。

――:なるほど。

小泉:家もそうだろうなと思って。37ぐらいでやっと中古マンションをリフォームして住むことができたんです。実際に住んでみたら案の定、もう痛いところだらけ(笑)。痛い目にあって、仲間の家のリフォームをやらせてもらって、暮らしのデザインというのは暮らしを落とし込んだものなんだと思いました。去年初めて自分で納得できる家ができて、それでようやく「暮らしの大きい器としての家具」という「家」ができたんです。それでそろそろ「家具デザイナー」と言ってもいいのかなと思ったわけです。

――:そうだったんですか。

小泉:本来、家具デザインっていうのはそこまで関わる仕事なんですね。日本で家具デザインというとすごく簡単に使われるでしょ。ヨーロッパだと家具デザインという行為はもっと深くて、デザイン・アーキテクトのような感じなんです。偉そうなことではなくて、もうちょっと深いところまで言ってるんだということを知ってほしいですね。

――:これまでの「リビングデザイナー」という肩書きは、全部言っているようで何も言っていない。家具デザイナーのほうがずっといいですね。

小泉:そう言っていただいてよかった。

――:小泉さんの場合、「道具のデザイナー」という発想もあると思いますが?


小泉:発想というよりまさに「道具のデザイン」なんですよ。僕は使われる道具をつくっていると思っているんです。ただスケールがどんどん変わる。箸置きから建築までのスケールですね。それが「家具」という概念で、家そのものが「暮らしの中の道具」だと考えています。「家」はただ物理的な建物ではなく、暮らしだと思っています。暮らしの道具の全体が「家具」だということを大きな声で言いふらしたい、と思っています。

――:家具デザイナー宣言をなさった真意がそれで分かりました。今日はどうもありがとうございました。

(2005年9月29日 ギャラリー・間)

 

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