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ギャラリー・間 100回展 この先の建築
ARCHITECTURE OF TOMORROW
2003 05.24-07.26
5×5の模型による<この先>の断片
レポーター:馬場正尊
「僕らは、なぜ建築をやっているのか、それはまだ見ぬ新しい空間を見たいから、新しい空間経験をしてみたいから、ではないだろうか」。
9月7日、ギャラリー・間100回展「この先の建築 ARCHITECTURE OF TOMORROW」記念の連続シンポジウム初日のディスカッションの最後に、原広司が言った言葉だ。それはシンプルで、建築家としてとても素直な表現のように思えた。
エントランスから見る
エントランスから見る
5x5グリッドに並んだ模型群
5x5グリッドに並んだ模型群
等価に配置された模型
等価に配置された模型

このプロジェクトに参加している25人の建築家の表現はバラバラでも、その一点において、みんなが共通なのではないだろうか。ディスカッションで話されることになる言葉たちは、それを共有するための道具のようなもので、建築家はやはり空間を想像し、それをつくってこそ、建築家である。

乃木坂のギャラリー・間で展示されている、5×5のグリッド状に配置された模型からもそんな姿勢が伝わってくる。45p角の土台の上の敷地に対して、ギャラリー・間から建築家たちに提案されたのは、「<この先の建築>を模型で表現してください」ということだった。 「過去は平等には存在していないが、これから先の未来は、どの世代の建築家にも平等に存在するから、やはり<この先>を表現してもらおう」というのが企画会議で決まった理由である。ただ<この先>の解釈は、建築家によってさまざまで、数年先の表現もあれば、遠い先もある。具体的な建築物の未来もあれば、建築という概念の未来を探った表現もあった。その設定自体が、各人の建築とのスタンスが出ている。このようなミニマムな条件だからこそ、特にそれが表れている。

どれが誰の作品なのか、名前のプレートを見ないでも、ほとんど分かってしまう。非作家性という言葉も聞かれるが、結局、建築家は作家性に拠って立つものだということが、展示された模型群に端的に表れていた。個人の表現やベースとなるメッセージは、長い年月をかけてもそんなに変化していくものではない。

世代を超えてフラットなディスカッション、という今回のシンポジウムのコンセプトに合わせて、ここでの模型の展示も世代の区別などは設けず等価に配列されている。
グリッド状に並んでいる模型を、頭のなかで並べ替えてみる。世代のレイヤー、スケールのレイヤー、素材のレイヤー、機能のレイヤー、その他にも出身事務所のレイヤーなど。そうすることで、関係性の地図のようなものが浮かび上がってくる。60年代以降の建築史のパースペクティブのようなものだ。この模型群は、見る側によって発展させることができ、とても見応えのあるものになっている。そして、この先へのヒントがさまざまなかたちで盛り込まれていて、それをひとつひとつ発見していくことはとても楽しい作業だった。

第二展示室に入ると、ビデオに収録された建築家たちのメッセージがランダムに流し続けられている。これを眺めているだけで、これから建築が相手にしなければならない事象のレンジが広がっていることが分かる。模型同様、ここで話されていることはバラバラで、注意深く聞いていると、ときに全く反対のことを言っている場合もあり、それが同じ組のディスカッションのメンバーの場合もある(ちなみに、私がナビゲーターの日もそうだ)。
手前:内藤廣氏、奥:曽我部昌史氏の模型
手前:内藤廣氏、
奥:曽我部昌史氏の模型
藤本壮介氏の模型
藤本壮介氏の模型
第二会場風景
第二会場風景

撮影=ナカサ・アンド・パートナーズ

中庭の真っ白い壁には、ギャラリー・間が最初に行った「フランク O.ゲーリー展」から、前回の99回展までの全展覧会のタイトルが書かれている。それは圧巻で、このギャラリーが積み上げてきたものと、そして建築に与えてきた影響のようなものがじわっと伝わってくる。その時代に、誰のどんな表現が僕らの心をつかんだのか、それがどういうふうに社会に定着していったのか。タイトルから、その時代の風景や展覧会の様子を思い出すことができる(それは30代以上の人だと思うが)。ギャラリー・間の、シンプルなフォーマットが、そうさせているのだなと、改めて思った。

最初、この企画の相談を受けたとき、正直いって「なんて乱暴な企画なんだ」と思った。下手をすれば自分が大学時代にガツガツ言われた先生と同じテーブルに着かなければならない。はたしてまともなディスカッションになるのだろうか? なかなか想像しにくいことだった。

9月7日、シンポジウムの初日の風景がとても印象的で、やはりこういう場は強引にでも設けられるべきであったと再認識した。最初はぎこちない空気が流れてはいたが、お互いが何とか共通言語、共通の何かを見つけだそうと模索していく過程があって、それだけで4時間近くの時間があっという間に過ぎていった。

「僕が、死ぬまでになんとかやりとげたいことはね……」というとんでもない重たい言葉をさらりと切り出した原広司の姿に、たぶん会場に来た誰もが、「建築家ってそういうことだったんだ」と、不思議に納得したのではないかと思う。これから先のシンポジウムの展開が楽しみだ。

このプロセスは、後日、本になって出版されると聞いた。偶然性にあふれた本になることだろう。編集をやっている僕でも、できあがりの姿は全く見えない。でも、混乱を起こしてみることが、このプロジェクト全体の目的のように思えている。

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